「飯も食えなくなった」撮影中、徹底的にシゴかれて…
――角川春樹さんには「もうちょっと役者をやってみようかな」という話を。
野村 言いましたね。『メイン・テーマ』が終わってから大学を受けてたんですよ、保険として。何校か受験したけど、あんま勉強できなかったから全部落ちちゃって。そこで覚悟を決めて、春樹さんに「お願いします」ってきちんと話しました。
それで『キャバレー』の撮影に入ったけど、徹底的にシゴかれて大変な思いをしましたね。怒鳴られて、けなされて、もうボロクソに言われて。飯とか食えなくなったもの。
――草刈正雄さんも、角川さんが監督を務めた『汚れた英雄』(1982年)の撮影で大変だったとおっしゃっていますね。角川さんのこだわりの強さから、何度も撮り直しがあったそうです。
野村 そうそう。草刈さんも大変だったと聞いてます。でも、角川さんって厳しいのは男性にだけで、女性には優しいんですよ(笑)。
要は、僕が出来なさ過ぎたんですよ。役に入り込んでいない、役になりきれていないという。鹿賀(丈史)さんがヤクザ役で、鹿賀さんを介して僕が演じた主人公が裏の世界でいろいろ目にして、傷ついて、成長していくって話でしょう。角川さんはその役と同じように、僕を追い込んでいくことで、映画の世界に没入させていったというかね。
おかげで、ラストシーンの僕はいい表情してるんですよ。「レフト・アローン」を吹き切ったときの顔ね。あそこは、最後の最後に撮ったシーンで、序盤とは顔付きが全然違う。達成感がありましたね。
「なんでトシちゃんの相手役に僕が選ばれたんだろうね」
――『キャバレー』の後は、昇給されました?
野村 30万円に。そっちでも達成感ありましたね。
――でも、角川春樹事務所が芸能部を閉じることに。
野村 ひろ子ちゃんも(原田)知世ちゃんも、みんな辞めて。時代もありましたね。映画よりもテレビって感じになっていったし。「どうしようかな」と思ってたら、知り合いの方が事務所を紹介してくれたんですよ。
で、角川から移籍してすぐに『びんびん』シリーズの1本目『ラジオびんびん物語』(1987年・フジテレビ)が決まって。2本目の『教師びんびん物語』(1988年・フジテレビ)が大当たりしたんです。
――田原俊彦さんとのコンビで、役名がシリーズを通して榎本英樹という。オーディションを受けたりは。
野村 なかったです。なにがきっかけで、僕に決まったのかは聞いてないですね。トシちゃんは最初から決まっていたんだけど、なんで僕が選ばれたんだろうね。なぜジャニー(喜多川)さんはジャニーズ事務所の誰かを相手役に起用しなかったんだろうって。それが今でも不思議。ヒガシ(東山紀之)とか光GENJIの誰かとかいただろうにね。