「違うんだな、こういう世界は」高校生でホテルのスイートに宿泊
――撮影は高校在学中に?
野村 そうです。3ヶ月ぐらい、たっぷり時間をかけて撮影したんですよ。普通はそんなに時間をかけないですけど、ひろ子ちゃんの大学もあったんでね。彼女は真面目に学校に行ってたから、たしか春休みに集中して撮ったんじゃないかな。ひろ子ちゃんは、学校が休みの時に撮るってスタイルだったんで。ロケも多かったし、そのあたりも含めて当時の角川映画だから余裕がありました。
映画のラストで、万座ビーチホテル(現:ANAインターコンチネンタル万座ビーチリゾート)が出てくるでしょう。当時は鳴り物入りのホテルじゃないですか、そこを定宿にしていたし、僕にはスイートかなんかを取ってくれて。「え、いいの?」って、さすがにビックリしましたね。それまで普通の高校生だったのに、急にそんなふうになっちゃうんでね。「違うんだな、こういう世界は」とか、しみじみ思いましたよ。
その沖縄ロケと高校の卒業式がぶつかってしまって、卒業はできたけど式には出られなかったんですよ。そうしたら、ひろ子ちゃんを筆頭にスタッフ、キャストのみんなが卒業祝いをやってくれてうれしかったですね。
薬師丸ひろ子との“知られざる関係性”とは?
――優しいですね。いきなりの俳優デビューで、戸惑ったりは。
野村 やったことないから、もう開き直ってましたね。「しょうがないじゃん」みたいな(笑)。そういう図太さ、ふてぶてしさが結構あるんですよ、僕。
僕がトチっても、森田さんを筆頭に誰も怒らないし。森田さんなんて、万座ビーチホテルの部屋で、マンツーマンで演技指導してくれましたもん。森田さんが、ひろ子ちゃん役をやって(笑)。
『家族ゲーム』のこともいろいろ教えてくれたし、スタッフもほぼ一緒だったから感無量で。
――薬師丸さんは、どうでした。
野村 当時のひろ子ちゃんは、ずっと年上の方ばかりと共演していたじゃないですか。『野性の証明』(1978年)では高倉健さん、『セーラー服と機関銃』(1981年)では渡瀬恒彦さん、『探偵物語』(1983年)では優作さんが相手で。
だから、年下が相手って、いなかったんですよ。そういうのもあって、僕のことを弟みたいにかわいがってくれましたよ。
――角川春樹さんが、現場を覗きに来ることは。
野村 ないです。春樹さんは、『メイン・テーマ』と同時上映だった『愛情物語』(1984年)の監督をやっていて、撮影時期も被っていたから。それに角川映画は、二本立てになると「あっちより出来がいいのを撮ってやる」みたいな対抗意識がものすごいんですよ。そうやってしのぎを削っていたところがあったんですよね。