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 まぁ、ジャニーさんが俺でいいって言ってくれたんでしょうけどね。実際、僕らのコンビで当たったわけだし。

 ただ、僕としてはメチャクチャ抵抗ありました。この榎本って役に。

――いじられキャラといいますか。

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野村 ちょっと三枚目の弱々しいキャラでね。だけど、そこは「役者でやる」と決めたわけだからね。とはいえ、「まぁ、やってみるか」っていうぐらいでやったんだけども(笑)。

 

「トシちゃん、笑ってたもん」映画とテレビの違いにパニック

――やってみて、どうでしたか。

野村 全然できなかったです。でも、それは役柄を演じられなかったとかではなくて、テレビの速さについていけなくて。もうね、スケジュールが映画とまったく違う。

 角川って、ワンシーンを撮るのに1日使ってたんですよ。それがテレビだと、1日に10シーンとか20シーンを撮って、セットでの撮影になるとマルチで回すでしょ。3カメ、4カメぐらいあって、一気に撮るから。あまりに環境が違いすぎて、もうパニクっちゃって。

 トシちゃん、僕がワタワタしてるのを見て笑ってたもんね(笑)。

――そうしてくれるほうが助かりますよね。

野村 そうそう。トシちゃんが、わざと僕を笑わせたりするんですよ。

――『びんびん』シリーズは、『FNS番組対抗NG大賞』(1986~2000年・フジテレビ)でよく取り上げられてましたよね。

野村 『NG大賞』あったね! あの頃のドラマは、笑っちゃったり、ロレったりしても、そのテイクを使っちゃったりするんだよね。今は丁寧すぎるから、そういうのは許されないですよ。

 

「お金入ってくるしなあ」月収15万円から6000万円に上がり…

――なんだかんだで、『びんびん』シリーズは楽しくやっていた。

野村 もちろん。ただ、榎本というキャラクターのイメージが強くなっちゃってね。『ラジオびんびん物語』、『教師びんびん物語』、『SPびんびん物語』(1988年・フジテレビ)とやってきて、『教師びんびん物語Ⅱ』(1989年・フジテレビ)もやることになって、そこで事務所に「次はちょっと……」みたいな話をしたのは覚えてますね。

 違うものをやりたかったし、僕自身はそういう志向ではなかったから。やっぱり、優作さんとか萩原健一さんとか原田芳雄さんが好きだったし、憧れていたから。テレビドラマも優作さんの『探偵物語』(1979~1980年・日本テレビ)や萩原さんの『前略おふくろ様』(1975~1976年・日本テレビ)が大好きだったし。

――『びんびん』の頃は、トレンディドラマ全盛でしたしね。

野村 圧倒的にテレビが強かったですね。また、そういうのに出ることでコマーシャルの仕事も来るし。1本やったら契約金が、3000万とか5000万ですから。役者も事務所も、そっちに行かざるをえないですよ。

 僕も「お金入ってくるしなあ」と思ってましたし。

――20代後半で最高月収6000万円あったとか。月収15万円から月収6000万円って、すごいですよね。

野村 けど、いろんな人に合計で1億ぐらい貸して、すべて踏み倒されちゃいましたからね。

撮影=石川啓次/文藝春秋

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