同月20日夕方、関根は「金を返す」と嘘を言ってKさんを熊谷市内のガレージに呼び出し、大型ワゴン車の中で談笑して油断させた後、栄養剤カプセルを飲ませた。まもなく悶絶し絶命するKさん。カプセルには通常、犬の殺処分用に使われる硝酸ストリキニーネという猛毒が入っていたのだ。その後、ガレージに戻った関根を待っていたのが本事件のキーマンとなるY(同36歳)だ。Yはブルドッグの元ブリーダーで、1992年にドッグショーの会場で関根と知り合い、ペット業界の成功者の経営学を学ぼうとアフリカケンネルを訪れるうち、誘われて同社の役員となった。が、実際は関根の運転手や手伝いをしていたにすぎなかった。
関根はKさんの遺体を見せつけたうえで「おまえもこうなりたいか?」「子供は元気か? 元気が何より」などと脅し、Kさんの車を東京駅八重洲地下駐車場に放置するよう指示。Yは命じられるままKさんが自ら失踪したかのように偽装する。このとき、風間はYに「上手くいったの?」「あんたさえ黙っていれば大丈夫」などと言い、事情を全て知っているような素振りだったそうだ。
関根はYに運転させ群馬県利根郡片品村の通称「ポッポハウス」にKさんの遺体を運ぶ。ここは旧国鉄から買い取った貨車を2両連結し、住宅用に改造したYの自宅で、離婚前に彼が家族と住んでいた家だった。
関根はKさんの殺害を思い立った時点でポッポハウスに住み込み、排水が流れ込む川がどこに繋がっているのか、夜に人目はどれくらいあるのかなどを確認していた。車がポッポハウスに着き、遺体が屋内に運ばれる。Yは関根が遺体を周辺の山のどこかに埋めるものとばかり思っていた。しかし、関根は遺体を風呂場に持ち込み、Yにバケツと包丁を持ってくるよう指示。遺体をサイコロステーキのように細切れにした。
その作業はまさに職人芸で、バスタブに水を張り入浴剤を入れたうえで、切断した部位を漬ける。血の色をごまかすためだ。肉は全て骨から削ぎ落とし細かく刻む。肉は焼くと臭いが出るが、骨なら臭いはしない。骨を焼くときは慌てず行うと白い粉になるため、ドラム缶で焼却したうえで、粉は山に撒き、臓器は川に流した。
このとき、関根は恐怖で固まるYにこう言ったという。
「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ。あとは、雨が降って、風が吹いて、あっという間に自然が掃除してくれる。俺が捕まりっこないことは、おまえにもよくわかるだろ」
殺害から遺体の解体・投棄まで手慣れた様子を目の当たりにし、Yはこれが初の殺人ではないと確信する。
「30人以上の人間」を殺害したとの声も
実際、関根はそれまでにも殺人を犯していた。古くは前出のラーメン屋店主、後にYが聞かされたところによれば、アフリカケンネルの前身であるペットショップの店員、関根の知人の妻など、自分に関わった30人以上の人間を殺害したのだという。
しかし、その犯行に一切物的証拠はなく、共犯者もいないため立件できていないだけ。全ての犠牲者のボディを透明にしていたのである。
その他の写真はこちらよりぜひご覧ください。