「遺体があるから捕まる。ボディを透明にするんだ。あとは、雨が降って、風が吹いて、あっという間に自然が掃除してくれる。俺が捕まりっこないことは、おまえにもよくわかるだろ」
共犯者からは「30人以上の人間を殺害した」との話も…平成最悪の連続殺人事件「埼玉愛犬家連続殺人事件」とはいったいどんなものだったのか? 犯人夫婦の人柄からその残忍な手口までを、新刊『世界の殺人カップル』(鉄人社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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埼玉愛犬家連続殺人事件
1993年、埼玉県熊谷市周辺で恐るべき事件が発生した。ペットショップを営む関根元と風間博子の元夫婦が金銭トラブルをめぐり顧客ら4人を毒殺したのだ。
特筆すべきは彼らが被害者の遺体をバラバラに解体・焼却し跡形もなく証拠を消し去ったこと。鬼畜な犯行に及んだ2人には後の裁判で死刑判決が下った。
関根は1942年、埼玉県秩父市の下駄屋の四男坊として生まれた。幼少期から虚言と悪知恵に長けて、周囲からは「ホラ元」のあだ名で呼ばれた。中学に上がると髪の毛を染め、地元の暴力団の使い走りのようなことをやるようになる。卒業後、地元のラーメン屋で出前持ちとして働く傍ら、実家の下駄屋の土間で犬の繁殖を始める。ちなみに、勤め先のラーメン屋は関根が働いているころに全焼。店主の遺体が発見されたときは骨だけになっており、警察は単なる火災として処理したが、これは関根による放火殺人だったと言われている。
その後、19歳のときにラーメン店時代の同僚女性と結婚し一男二女をもうけたものの、やがて秩父市内の病院で働く看護師の女性と不倫関係となり離婚。1970年ごろに再婚し同市内のアパートに移り住む。ライオンを飼い始めたのもこのころで、後に2人は「ライオンを飼う夫婦」としてテレビ出演したこともあるそうだ。1975年ごろから実家を改造しペットショップを開業するとともに、犬やトラ、ライオンなどのリース業を開始。特別、動物に愛着があったわけではない。あくまで金のためだった。
商売は悪どかった。プードルにピンク色のスプレーで色をつけて「珍しい種類」などと言って高値で売りつけたり、子供が生まれたら1匹20万円で引き取ると番(雄と雌)で犬を売り、いざ子犬が生まれると毛並みが悪い、尻尾が曲がっているなど難癖をつけ買い取り金額を1万円ほどに下げたり、さらには一度販売した犬を客の家から盗んで別の客に売ることまであった。当然ながらトラブルは絶えず、経営は傾き、やがて再婚相手とも離婚。
その後、熊谷市内の女性マッサージ師と暮らし始め、ヒモのような生活のなかで、関根は彼女の娘にも手を出す。この娘は最初の妻との間に生まれた娘と友人だったそうだ。しばし後、付き合いのあった暴力団関係者とのトラブルが原因で静岡県伊東市に身を隠すも、1981年ごろに埼玉に戻り、翌1982年に熊谷市でペットの繁殖・販売を生業とする「アフリカケンネル」を開業。ここで知り合ったのが風間だった。