結婚してすぐ、貞雄はシンガポール支店へ赴任することになった。外地への転勤が決まっていたから結婚を急いだのかもしれない。丸亀の街から外に出たことのなかったノブにとって、東京や大阪を飛びこしていきなりの外国暮らし……。戸惑いや不安は大きかっただろう。
当時のシンガポールはイギリス領。領事館管区内には数千人の日本人が暮らしていた。東南アジアではフィリピンのダバオに次いで、最も日本人の移民や駐在員が多く住む地域であった。日本領事館付近のミドル・ロード沿いには、日本語の看板を掲げた商店や食堂、ホテルなどがならぶ日本人街が形成されていた。個人営業の商店主や職人など、この地で定住する日本人移民の多くはこの界隈に住んで「下町族」と呼ばれていた。
また、シンガポール港周辺のかつて倉庫街だったグダン地区は、この頃になると世界各国の海運会社や金融機関の建物がならぶオフィス街に発展していた。国際貿易港シンガポールを象徴する場所、そこでは日本企業のロゴが書かれた看板もよく目にする。企業の日本人駐在員の数も年々増えていた。
夫のシンガポール赴任で、日本では考えられない暮らしを満喫
グダンのオフィスに勤務する企業駐在員たちは「グダン族」と呼ばれた。会社から住宅手当など手厚い補助があり、収入も保証されている。グダン族の大半は山の手の高台に広い一戸建てを借り、メイドを雇って暮らしていた。裸一貫で移住してきた下町族とは、住む場所も暮らしぶりもかなり違う。在留日本人の中でふたつの階層が存在していた。
貞雄はもちろん上位階層のグダン族。欧米人が多く住む高級住宅地の一戸建てに住んでいた。広いバルコニーを伝って流れてくる涼風、室内に敷き詰められた大理石の床がひんやりと心地よい。熱帯の上流階級の暮らしは、日本で夏を過ごすよりもよっぽど快適だ。出勤には運転手付きのクルマを使う。
貞雄を仕事に送りだした後、炊事や洗濯はメイドたちに任せて、ノブは庭の木陰に置かれたテーブルでお茶を飲みながらおしゃべりをして過ごす。日本では考えられないような優雅で贅沢な暮らしを楽しんでいた。