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三淵嘉子が生まれてはじめて目にしたのは、おそらく、こんな感じの眺めだろうか。彼女は大正3年(1914)11月13日にイギリス領シンガポールで生まれている。名前に使われている「嘉」の一字も、シンガポールの漢字表記「新嘉坡」に由来する。

熱帯の街での暮らしは、まだ赤ん坊だった嘉子の記憶に残っていないだろう。が、彼女の父母の意識には、この異文化体験が少なからぬ影響をもたらしたようだ。それは帰国後の子どもたちの教育にも影響する。

滞在中に生まれた嘉子が2歳になった時、貞雄はニューヨークに転勤となり、彼女は母・ノブとともに丸亀の実家へ戻って父の帰国を待った。シンガポールから日本へ。嘉子もまた周辺環境の激変に困惑しただろうか。しかし、当時はまだあまりに幼く、丸亀での暮らしについて彼女はほとんど記憶していない。

青山 誠(あおやま・まこと)
作家
大阪芸術大学卒業。近・現代史を中心に歴史エッセイやルポルタージュを手がける。著書に『ウソみたいだけど本当にあった歴史雑学』(彩図社)、『牧野富太郎~雑草という草はない~日本植物学の父』(角川文庫)などがある。