1988年、下半身がつながったベトナムの結合双生児「ベトちゃん、ドクちゃん」が、日本赤十字病院の協力の下で分離手術に臨んだ。日本赤十字社名誉社長・近衞忠煇さんの著書『近衞忠煇 人道に生きる』(中央公論新社/聞き手・構成 沖村豪)より、17時間に及んだ手術の一部始終を紹介する――。
ベトナムの農村で相次いだ悲劇
ベトちゃんとドクちゃんは下半身が結合した双子でした。1981年(昭和56年)2月25日、ベトナム中部の貧しい農村で生まれました。
ベトナムは54年(昭和29年)、対仏独立戦争に勝利し、19世紀からの植民地支配から脱したものの、冷戦の最前線になってしまいました。ソ連や中国が支援する「ベトナム民主共和国」(北ベトナム)と、米国が支援する「ベトナム共和国」(南ベトナム)に分断され、米軍が65年(昭和40年)に北爆を開始したことで、「ベトナム戦争」が本格化しました。
米軍は北ベトナムの部隊が隠れることができるジャングルを除去し、食料となる農作物を奪うため、空から枯葉剤を散布しました。ベトちゃんとドクちゃんが生まれた農村もそのターゲットになった。ベトナム戦争は75年(昭和50年)のサイゴン陥落で終結しますが、枯葉剤が散布された地域ではその後、ベトちゃん、ドクちゃんのような先天性の欠損や奇形を抱えた子供が相次いで生まれました。
「2人を助けて」という世論に動かされる
「兄のベトちゃんが脳炎による危篤状態でベトナム赤十字社が救援を求めている」。86年(昭和61年)5月、日赤はこの報道で命の危機に瀕しているベトちゃんとドクちゃんの存在を知りました。
当初、2人の救援に対しては慎重論が強かった。枯葉剤と結合双生児の発生との因果関係は公式に証明されていません。もし、この救援活動が反米運動のような政治的キャンペーンに利用されたら、赤十字としての中立性も危うくなるという理由でした。私も同じ考えでした。
しかし、当時5歳のベトちゃんとドクちゃんのいたいけな姿がメディアを通じて伝えられると、2人の救援を求める声が全国に広がりました。世論の高まりを受け、日赤も動かざるを得ない状況に追い込まれました。私は連絡員として医師3人と一緒にベトナムに出張することになりました。「くれぐれも2人を連れて帰ることのないように」。出発前、上司からはそう厳命されました。