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改造した特別機で日本に連れ帰る

ベトちゃんとドクちゃんが入院していたホーチミンのツーズー病院は、医療設備が脆弱でベトちゃんの高熱の原因を突き止めることもできませんでした。十分な医薬もなく、このままではドクちゃんにも感染が広がり、2人とも命を落としかねない状況でした。

病院の周辺を日本のメディアが取り囲んでいました。日本国内では「ベトちゃんとドクちゃんを救え」と義援金が続々と集まっていた。中曽根康弘首相が支援に前向きな発言をしたことで、日本政府も2人の受け入れに同意することになり、私たち日赤が2人を日本に連れ帰ることになりました。

危険な状態の2人を日本に移送するため、退役間もない日航機の提供を受け、医療用に改造しました。ベトちゃんとドクちゃん、日赤とベトナムの医師、看護婦、私も乗り込んだ特別機は、86年6月19日に羽田空港に降り立ちました。双子の兄弟は治療のため、ただちに日赤医療センターに運び込まれました。

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分離手術の成功率は80~90%

日赤の医師チームは、内科的な治療を施してベトちゃんの回復を見守りながら、臓器の数や位置、結合の状態、血液の流れ、神経の支配状況など、解剖学的検査を行いました。ベトちゃんは後遺症の影響で知能の回復の見通しがつかない状態と判明しました。ドクちゃんは完全に回復しました。その人なつっこい性格で日赤関係者の人気者になりました。

3カ月が過ぎた頃には2人の容体は安定していました。危機を脱したこの段階で、ベトナム側は2人の分離手術を望みます。「このまま結合双生児として人生を歩むのは、当人たち、介護する関係者にとっても大きな困難と負担が伴う。ついては、医療水準の高い日本で分離手術をしてほしい」。そのように強く求められました。

ドクちゃんはすでに物心がついていたので、悲しいことですが、重度の意識障害で動けないベトちゃんの存在が邪魔になっているように見うけられました。

日赤で検査データを検討すると、外科、整形外科、形成外科の見立ては、「分離手術の成功率は80~90%」という結果になりました。内科は「分離した後の感染症リスクの増大やその他の肉体的な影響が懸念されるが、反対はしない」という態度でした。