止まらない水原一平バッシング。「依存症は病気である」という認識はなぜ日本社会に浸透しないのか。

 依存症の第一人者・信田さよ子さんが、水原氏に関連した報道の背景を解説した連載「女性と依存症、そしてトラウマ」第4回より一部抜粋する(はじめから読む/『週刊文春WOMAN 2024夏号』に全文掲載)。

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病気の本体は“価値観が狂うこと”

 家族がこんなに困っているのに、本人は平気なのだろうか。じつは依存症者も、酒が上手に飲めないことや家族とうまくいかないことで困っている。

 苦しいから酒を飲み、飲んで問題を起こすたびにもっと上手に飲もうとして悪循環に陥る。決して「酒をやめよう」とは思わない。彼らの世界の中心には常に酒が存在し、価値観の最上位は酒をうまく飲めることである。配偶者より、子どもより、酒が優先する。酒のない人生など考えられないのだ。

 こうしてアルコール依存症者と家族のあいだには深い断絶が生まれる。夫に絶望した妻が最後に口にするのは「私を取るの? 酒を取るの?」だ。1970年代からその光景は変わらない。そして、彼らのこたえは決まって「酒」なのだ。

©AFLO

 一般的には、肝臓や膵臓がアルコールの害によってさまざまな障害を受けてもなお酒をやめない(やめられない)状態を「酒をコントロールできない=コントロール不能」と呼ぶ。このコントロール不能こそ病気だと考えられている。近年の精神医学ではアルコール依存症より「物質使用障害」という診断名が用いられる。酒や薬の使い方がヘンになるという意味だ。

 しかし、使い方がヘンになるというよりも、価値観がヘンになると考えたほうがわかりやすいのではないかと思う。