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『踊る大捜査線』が大ヒット

 こうした生活は、21歳で大手事務所に移籍するまで続いた。ドラマ『踊る大捜査線』に柏木雪乃役で出演したのは移籍後、22歳になっていた1997年のことだ。雪乃は父親が殺された事件の捜査のなかで主人公の青島刑事(織田裕二)らと出会い、当初はなかなか心を開かなかったのが、やがて警官を志すという役どころで、その後スペシャルドラマ、映画版と続いたシリーズを通して水野の当たり役となった。

『踊る大捜査線』シリーズには柏木雪乃役で出演  ©時事通信社

 もっとも、オファーを受けたときは、まさか雪乃が警官になるとは知らず、「えぇ~、あたし、刑事のほうやりたい~! 銃撃ちたいぃ~!」と思ったという(楠野一郎監修『戦う女優(ヒロイン)』扶桑社、2000年)。それというのも、彼女はデビューまもないころ、アクション俳優・倉田保昭が設立した「倉田アクションクラブ」に通ううち、アクションに開眼していたからだ。当時の事務所の方針でさまざまなことを習わされた一環ではあったが、小学5年から少林寺拳法を習っていた経験も活き、自分に合っていると思ったという。先の化粧品のCMで脚光を浴びたときも、メディアに登場するたび、足を蹴り上げるなどのアクションポーズでアピールしていた。

 日本にはもともと女性アクションのニーズがなく、デビューして数年はそれを披露するのは子供向けの戦隊物やVシネマにとどまった。しかし、『踊る大捜査線』のあと『彼女たちの時代』(1999年)や『ビューティフルライフ』(2000年)など人気ドラマに出演を続けるうち、映画『現実の続き 夢の終わり』や『千里眼』(いずれも2000年)など、存分にアクションシーンを繰り広げる機会も増えていった。

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『千里眼』(2000年)

「自分は素人同然」と痛感した瞬間

 こうして見ると、20代半ばまではまずまず順調に来たといえる。だが、映画やドラマに出続けるうち、それまでは新たな作品のたび「こういうことにチャレンジしよう」と自分なりに課題をつくってのぞんできたのが、一体どうしたら新鮮な気持ちで演技ができるのかわからなくなり、カメラの前に立つのが怖くなってしまったという。

 ちょうどそんなころ、劇団☆新感線の『アテルイ』(2002年)で初めて舞台を経験し、映像作品とは表現のしかたがまるで違うことにショックを受ける。同時に、《舞台を中心に活躍する役者さんがステージで放つ強烈な個性やエネルギー、瞬発力などを目の当たりにすることで、「知らなかった世界がここにはある。自分は素人同然だ」と痛感》し、自分も舞台で求められる役者になるという新たな目標を見つけた(『婦人公論』2008年5月22日号)。

 やがて彼女は、この目標を達成するため、2005年末には所属事務所をやめて独立する。独立後3ヵ月ほどはすべてのマネジメント業務を一人でこなしたりと、大変な時期もあったものの、直後よりあいついで舞台に出演し、「舞台俳優」というイメージがつくには時間はかからなかった。