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 緒方は1962年2月、久留米市安武町の農家に生まれた。父方の祖父は元村議会議員、父親は農業をする傍ら鋼鉄の線材を作るメーカーに勤めており、家は村の3分の2を占める名家だった。そんな裕福な環境下、緒方は何不自由なく育てられ、地元の公立中学を卒業した後、松永と同じ公立高校に進学。性格はおとなしく地味だったが、成績は優秀で進学クラスに在籍していた。高校を出て福岡市内の短期大学に進学し、卒業後の1982年4月から幼稚園教諭として働き始める。松永に処女を捧げるのは、その半年後のことである。

緒方純子(写真提供:小野一光)

 松永が緒方に接触したのは当初、単なる遊びだった。実際、外面の良かった彼は結婚後も多くの女性と関係を結んでいる。が、緒方と男女の関係となり、彼女の実家が資産家であることを把握すると、その目的は財産へと変わっていく。話術に長けた松永にとって、従順で真面目な緒方はいとも簡単に操れる存在だった。

 2人が関係を持って2ヶ月が経過した1982年12月24日のクリスマスイヴ、松永は久留米市にあるホールを借り切って、会社主催の音楽コンサートを開いた。約1千100人のキャパのホールに招待されたのは緒方や当時妊娠中だった松永の妻、他に関係のあった女性ら約50人。松永はワールドの従業員に伴奏させ、自らマイクを握り歌った。全ては自分の見栄と、これから落とそうとしていた女性の気を引くためだった。

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 当時、会社の経営が順調だったこともあり、数百万円の開催資金は松永個人の持ち出しで、その後、ワールドは1985年に敷地内に鉄筋3階建ての自社ビルを新築。1986年には資本金500万円を投資して有限会社から株式会社化し、松永は代表取締役社長に就任している。

「おまえのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ」

 一方、いずれ妻とは離婚するとの松永の言葉を信じ、ずるずる不倫関係を続けていたが緒方は日に日に不安を増し、1984年に叔母に全てを打ち明ける。それを伝え聞いた両親は興信所を使って松永の身上調査を行ったり、家に呼んで娘と別れるよう説得する。ところが、口の巧い松永に言い含められるどころか、そのころ青年実業家として成功していた彼に全面的な信頼を置いてしまう。ただ、この一件により、松永の緒方への態度は豹変し、「おまえのせいで俺の人生はめちゃくちゃだ」と、殴る蹴るの虐待が始まった。

 竹刀で喉ぼとけを殴り老婆のようなしわがれ声にし、踵落としで太ももをえぐり、胸と太ももにタバコの火と安全ピン、墨汁で「太」と自分の名前を刻印した。当然のように、緒方の母親は娘の身を案じた。しかし、松永は母親を呼び出し、強引に肉体関係を持ち自分の味方につけてしまう。緒方が松永の暴力に疲弊し、勤務先の幼稚園を辞職するのは1985年2月のこと。それでも、彼女が松永との関係を切ることはなかった。