芝居に出会い、10人以上の多国籍シェアハウスで寝泊まりし…
演技の仕事を志したのは、たまたま受けた芝居のワークショップで衝撃を受けたことがきっかけだった。「『これはなんだろう。分からないことがたくさんある。やりたい!』と思ったら涙が出てきてしまって」(クランクイン! 2019年11月17日)。
初期衝動に突き動かされ、事務所に「芝居をしたい」と伝えたところ、ワークショップの先生が「あの子は芝居をやらせたほうがいい。彼女もきっとやりたいと思う」と言っていたことを知り、また号泣してしまったという。「私にはお芝居だ」と心が決まった瞬間だった(AdverTimes. 前出)。
ドラマに端役で出演するようになり、地元から東京に通うようになった。東京では10人以上の多国籍の人たちと一緒にシェアハウスで寝泊まりしていた。上京へと傾く気持ちを後押ししたのは、この時期にドラマ『私は父が嫌いです』(2015年)で共演した瑛太(永山瑛太)だった。
20歳で上京するも待っていたのは「マネージャーの仕事の手伝い」
上京したのは20歳のとき。母に猛反対されたが、説き伏せて上京した。当初は所属する事務所が見つからず、福岡で所属していたモデル事務所の社員になり、マネージャーの仕事の手伝いをして生計を立てていた。自分がオーディションを受けるのではなく、自分より年下の女の子をオーディションに連れていくこともあった。
「自分はこのまま演じる側ではなく、支える側になるのかな」
そんなことを思い、迷ってばかりの日々が続いた(Smart FLASH 2018年6月6日)。
そんな中、脚本家の野島伸司が監修を務める俳優養成学校に通い始める。入校時のオーディションを野島が審査した結果、授業料免除の特待生として迎え入れられた。心配性の母には「そんなにウマい話があるわけないでしょ。騙されてるんじゃないの?」と言われてしまった(Deview 2017年9月19日)。
数多くのCMに出演したが、ドラマのオーディションには落ちることが多く、野島からは「華がない」「主演を獲りにいかないと」と叱咤激励されていた(『週刊文春』2023年6月1日号)。