オランダはかっての海上帝国の威容こそないものの、現在はNATO(北大西洋条約機構)加盟国である。「トロンプ」への攻撃は即、アメリカを含む西欧諸国のほとんどの軍を相手に戦うこととなる。中国はロシア同様相手が軍事的にも経済的にも国防に充分な備えがないと見るやためらわず侵略したり、植民地化を図る。フィリピンしかりベトナムしかりスリランカしかり日本の沖縄しかりである。しかし相手が自分らより強いと見るや、吠えるにとどまるしかない。
「トロンプ」は14日、長崎を出港、2年ごとに開催される史上最大の海軍合同演習RIMPAC2024(環太平洋合同演習)に参加するためハワイに向かった。
日土の固い絆のきっかけとなった「エルトゥールル号遭難」
かたやトルコ海軍コルベット「クナルアダ」の寄港である。実はトルコの軍艦が訪日するのは初めてやない。9年前にもフリゲート「ゲディズ」が訪日しており、今回で5回目となる。その主目的は日土国交樹立100周年を祝しての訪日であり、停泊中は一般公開もされている。しかしトルコとの関係は100年前よりさらにさかのぼり、134年前に始まる。さすがにオランダとの425年には及ばんが134年前の1890年日土の固い絆が築かれるきっかけとなった事故が和歌山串本町(当時)沖で起こった。
それが「エルトゥールル号遭難」である。
1890年、当時のオスマン帝国のフリゲート・エルトゥールル号は明治天皇への叙勲も含めた親善訪日使節団を乗せイスタンブールを出港、11カ月かけ横浜港に到着、オスマン帝国初の親善訪問使節団として大歓迎を受けた。その帰路、和歌山県串本町沖で台風による強風と高波により、座礁沈没した。この事故で587名の乗員が亡くなったがその一報がもたらされた串本町民による文字通り命がけの救助活動により69名が助け出された。救助された乗員は帝国海軍の初代「金剛」と「比叡」でイスタンブールまで送り届けられた。その艦隊に「坂の上の雲」の主人公となり、日露戦争の天王山となった日本海海戦を勝利に導いた秋山真之が少尉候補生として乗り込んでいたのを因縁と感じるのは、不肖・宮嶋だけやろうか。
イラン・イラク戦争で日本人を救ってくれた
トルコはそれから確固たる親日国家となり、ロシアを日露戦争で破った日本にさらなる親しみを覚えるようになり、1980年突如勃発したイラン・イラク戦争で日本人を救うことになる。
イラン・イラク戦争でイラン首都テヘランに、邦人215名が取り残された。当時自衛隊機どころか自衛隊を海外に派遣する法令すらなく、日本政府は海外で唯一運航していた路線を持つ日本航空に邦人救出を依頼するも当然断わられ、途方に暮れていた。そこに「我々トルコ人はエルトゥールル号の恩を忘れていない」と救いの手を差し伸べてくれたのがテヘラン駐在のトルコ大使や、トルコ航空やったのである。かくして命がけのフライトになると承知でテヘラン空港に舞い降りたトルコ航空機で215名全員が脱出できたことはあまり知られていない。