日蘭、日土の浅からぬ関係をご存知だろうか。先の大戦では「ABCDライン」にもなったオランダはじつは来年には日蘭の交流が始まって425年を迎える。オランダは日本の皇室とも関係深い王国であり、現国王が皇太子時代もたびたび訪日し、お忍びで地下鉄で東大安田講堂を訪れたのを写真週刊誌カメラマンだった不肖・宮嶋も撮影に成功したことがある。
入港した「トロンプ」艦長「長崎寄港を楽しみにしていた」
さて江戸時代の1600年、1隻のオランダ船、デ・リーフデ号が現在の大分県に漂着する。その船の航海士だったウィリアム・アダムスが家康に厚遇され、外交顧問にまで成りあがり、「三浦按針」という日本名まで授けられ日蘭の国交が始まる。さらに1636年ここ長崎湾内に人工的に埋められ造られた出島は当時鎖国中の江戸幕府にとっては唯一の西欧への窓口となった。
日蘭交流425周年を控え、この朝、かつての出島をさらに埋め立て造成された岸壁に接岸した「トロンプ」は艦橋上部に日本のイージス艦にも備わるフェーズドアレイレーダーを4面に備えたAPARレーダーを自国で開発し、イージスシステム同様の高い防空能力を誇る。
この朝入港歓迎式典に出席した「トロンプ」の女性艦長イヴォンヌ・ファン・ブーゼコム中佐も「乗員ともに長崎寄港を楽しみにしていた。こちらで過去の日蘭貿易について学びたい」と述べられ、乗員とともに原爆資料館も訪れ、長崎名物チャンポンも味わわれ、「おいしかった」と感想も述べられた。
ホスト側の海上自衛隊の佐世保地方総監部土屋剛管理部長も「歴史的にも両国の親善を深めるためにも意義深い」と歓迎の弁を述べられたぐらい日蘭両海軍は良好な関係を築いている。
中国から受けた挑発行為
「トロンプ」は日蘭親善のためだけにここ長崎に入港したのではない。この3月母港デンヘルダー基地を出港したトロンプは地中海、紅海を経てシンガポール、インドネシア等に寄港、南シナ海では「開かれたインド・太平洋」のオランダ政府の政策に基づきこの海域での安全な航行とその維持を目的に派遣され、その任についているが、長崎入港前日にも海上自衛隊の護衛艦「あけぼの」と日蘭海軍初めてとなる共同訓練も行っている。
さらに7日には東シナ海上で北朝鮮による瀬取りを警戒する任についていたといわれる「トロンプ」に対し、沖縄周辺海域を含むこの海域すべてが中国の海やとこく中国人民解放軍の戦闘機2機やヘリが異常接近するという挑発行為を受けた。それはオランダ国防省いわく「潜在的に危険な状況が生じた」というレベルやったのである。