1966年(81分)/KADOKAWA/3080円(税込)

 市川雷蔵と仕事をしたスタッフや俳優に取材すると、ほぼ必ず出てくる話がある。それは、時代劇のメイクをした際は凜々しく美しい一方で、普段のノーメイクの時は全くの地味な見た目になるというエピソードである。

 雷蔵が凄いのは、だからといって現代劇を避けなかったことだ。むしろその特性を存分に活かして、時代劇とは異なる役柄に挑戦したのだ。

『炎上』『破戒』などの文芸作品で演じた繊細な青年役は、その代表的なところといえる。また前回の『ある殺し屋の鍵』のような「普段は市井に溶け込んで、裏の顔を隠す殺し屋」の役柄なども、「時代劇のメイクをしていない時は近くにいても気づかない」と言われる雷蔵の特性に、まさにピッタリだった。

ADVERTISEMENT

 普段は人に気づかれないことが尊ばれる職業は、殺し屋の他にもう一つある。スパイだ。これも、潜入先で「誰がどうみても普通の人」と思われなければならない。

 日本映画では珍しくスパイの活躍が描かれる「陸軍中野学校」シリーズは、そんな雷蔵の魅力が活かされている。

 今回取り上げるのは、その二作目『雲一号指令』だ。

 時代は、日中の戦闘が激化していた一九三九年。前作でスパイ養成所を卒業した三好(雷蔵)の任務は、神戸で相次ぐ時限爆弾を使った輸送船の爆破事件の捜査だ。

 列車で赴任地へ向かう冒頭、三好はサラリーマン然としたスーツ姿で列車に乗っている。これが自然と乗客に紛れており、雷蔵の特徴がいかにスパイ役向きかが伝わってきた。

 印象深いのは料亭の場面だ。憲兵の愛人である芸者・梅香(村松英子)が工作員ではと睨んだ三好は、客として彼女に近づく。この時、三好は軽やかに大阪弁を操り、下世話な関西人に完璧に成り切っているのだ。その飄々とした口跡は、敵を追いつめる時のモードやナレーションの際の重厚な凄味とは明らかに異なる。つまり風貌だけでなく、雷蔵の役者としての芸達者ぶりが、そのままスパイとしての卓越した技術として成り立っているのである。

 終盤になると、梅香も三好がスパイなのではと疑い始める。両者が客室でたたずむ場面は、表向きは穏やかな接客の風景にしか見えない。だが、そこにいるのは、互いに疑い合う、なりすました者同士。そのため、表面上とは異なる、緊迫した空気が流れていた。

 任務のために非情な死を遂げていく敵工作員たちや、三好を煙たがる憲兵(佐藤慶)ら、脇役陣もそれぞれに魅力的だ。森一生監督のハードボイルドな演出も冴えわたる。

 クールな渋味あふれるスパイ映画に仕上がっていた。