高知県に位置する、まるで“異世界”に建造されたのかのような聖神社。

 現地へと出向き、いくつもの難所を越えながら、なんとかお堂までたどり着けたが、脳裏をよぎるのは「このまま無事に帰路を辿ることはできるのか」という不安であった。

 それにしても、なぜこのような場所に神社が建造されたのだろうか……。

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対岸から眺める聖神社

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ナゾのメッセージが彫られた“石”

 行きは難儀したものの、帰りの道のりは早かった。最短ルートを選ぶと30分もかからず車まで戻ってこられたのだ。

 しかし、最後に、また気になるものを目にしてしまった。参道の入口に、カタカナで“ミサ”とだけ彫られた長方形の石が置かれている。

最短ルートの入口には謎のメッセージが

 文字は赤色に着色され、周囲の光景から異彩を放っている。カタカナ2文字というのも、なんだか意味深だ。

すっぽりと岩に覆われている聖神社

 気になることだらけの聖神社を後にしつつ、ひとまず越知町の中心部まで戻る。

手すりの向こうに落ちたら命はないだろう

 そして、聖神社神官のお孫さんにあたる岡村豊明さん(76歳)に話を聞く機会を得た。

 そもそもなぜあの場所に神社が造られたのか。どう考えても大変な立地だ。ストレートに疑問をぶつけてみる。

 岡村さんによると、来歴ははっきりせず、誰がいつ建てたのか、はっきりとした記録はないという。

聖神社お堂内

「江戸時代ぐらいの話やと思うんやけど、ある日突然、一晩にしてあそこに材料が運ばれとったと言われてます」

 村人たちが神社を建立しようと材料を集めて置いていたところ、誰が運んだでもなく、突然材料があの場所に運ばれていたという。それを当時の村人たちが組み立て、聖神社が建立されたと伝えられているのだそうだ。なんとも神秘的で素敵な話だが、それだったらいっそのこと「ある日突然お堂が建っていた」と完成させておいてほしかった気もする。

 真相はわかりかねるものの、建造後、地域の人たちの手で維持管理されてきたことは間違いない。資料によると、明治12年に改築されたことまでは確認がとれた。しかし、昭和後期になると手入れが行き届かず、荒廃してしまったようだ。

対岸から眺める聖神社

 聖神社は、集落から遠く離れている。維持管理のためには山に登らないといけない。荒廃するのも、やむを得ないだろう。