“石”に彫られたナゾのメッセージの理由
すると「あれは山の持ち主の名前やね」と岡村さん。地主さんが女性のミサさんで、誰の持ち物であるかを示しているのだという。彫りやすいようにカタカナにしたのだろう。意味深な内容ではなかった。正直、この謎まで解決するとは思っていなかったが、おかげでとてもスッキリした。
最後に、「あそこまで行くのは大変だから、(山の)下でもお参りできるようにしてある。今工事もしてる」とも教えてくれた。
聖神社は、江戸時代からここ小日浦地区の氏神様として祀られてきた。しかし、道のりがあまりに険しく、かつては女人禁制の山だったこともあり、参拝できる人が限られていた。そこで、誰でもお参りできるようにと、山の下にも複祀されるようになったのだという。翌日確認に向かうと、確かに登山口の近くに五社神社という神社があった。鳥居には聖の文字も入っている。鳥居の建立年からしても、明治時代にはここに複祀されていたようだ。おそらく、5つの神社を合祀して五社神社になったのだろう。
お社の前では、建物を造る工事が行われていた。岡村さんによると、みんなが集える建物があったが老朽化したため、建て替えているそうだ。
気が付くと1時間以上にわたって話を聞いていた。岡村さんにお礼を述べて、越知町を後にした。
鳥取県にある投入堂は過去に2度訪れたことがある。投入堂と聖神社、いずれも険しい場所にあり、見た目も似ている。しかし、入口で靴や服装のチェックを受けて入山料を支払い、下山のチェックまでしてくれる投入堂とは異なり、聖神社は全てにおいて自己責任。地域の人たちの手により維持され、ご厚意により我々部外者も参拝することができる。現地に人の姿は無いが、人のあたたかみを感じる。それがまた、聖神社の大きな魅力だと思っている。
地域の人たちの努力によって維持されてきた聖神社。しかし、近年は高齢化により維持が難しくなってきていると聞く。今後は行政とも連携し、維持管理を行っていく予定だ。岡村さんをはじめ、多くの方々のご厚意により参拝できるということを心に留めて、安全第一でぜひ訪れたい。
私が住む岐阜からお手伝いできることは限られるが、今後も末永く小日浦地区の氏神様として祀られ、あの景色を眺められることを願っている。