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思いがけない“改修”のきっかけ

 そんなとき、荒廃ぶりを見かねた岡村さんの兄・豊延さんと伯父の昭さん(故人)が中心となり、村の有志の方々も加わって昭和63年にお堂が改修されたのだという。

 手作り感あふれる吊り橋が架けられたのは、それよりも最近になってからのこと。いろいろと考えた末、パイプを使ってケーブルを固定したのだという。

吊り橋の一端はパイプを使ってケーブルが固定されている

 また、話を聞いていくと、当初は吊り橋ではなく、野猿だったという驚くべき情報が飛び出した。野猿とは、ケーブルに吊るされたカゴに人が乗り、ロープを引っ張ることでカゴが前に進む渡り方だ。今でも奈良県十津川村や徳島県三好市などに現存こそするが、設置例は極めて少ない。

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徳島県奥祖谷にある野猿(参考)

 人力で川を渡ることができる珍しい移動手段なのだが、当時、使っていたのが適したワイヤーではなかったようで、すぐに伸びてしまい、真ん中がたるんでしまった。そのため、カゴが中央で止まってしまい、かなりの力でロープを引っ張らなければ対岸に渡りきれなくなったのだという。川の真ん中でカゴが動かなくなる状況を想像すると、なんとも恐ろしい。

吊り橋に組み込まれた野猿のカゴ(翌日撮影)

 それから、吊り橋に改造したそうだ。経緯も含めてビックリなのだが、さらに驚くことに、野猿のカゴは今も吊り橋の一部として使われているというのだ。そういえば、吊り橋の途中で段差があることが気になっていた。その段差部分に、滑車が付いたカゴが使われていたのだ。野猿のカゴが吊り橋に組み込まれていたとは……。その発想に脱帽だ。

翌日再訪し、吊り橋の反対側がどのように固定されていたか確認すると、大きな岩に巻き付けられていた

 聖神社へ向かうルートの珍しさに、つい興奮してしまう。

 続けて、対岸ルートから分岐する古い廃道があったことについても聞いてみた。