文春オンライン

『光る君へ』道長像はリアルとはいえない…道長がまだ幼い長女を一条天皇に入内させた本当の理由

source : 提携メディア

note

また、山本淳子氏は「道長は財力で天皇を娘・彰子にひきつけようと工夫した」と書き、こう具体的に記す。「部屋の外まで香り立つ香、何気ない理髪の具や硯箱の中身にまで施された細工。天皇の文学好きを知る道長は和歌の冊子もととのえ、当代一の絵師・巨勢弘高に歌絵を描かせ、文字はまたも行成に筆を執らせた」(『道長ものがたり』朝日選書)。

しかし、彰子がまだ「子供」だということもあったのだろう。一条天皇の定子への寵愛は冷めることがなかった。そして、彰子が立后の儀を前にして、内裏から道長の屋敷である土御門邸に移ったタイミングで、定子を内裏に呼び寄せた。

道長は『御堂関白記』に、一条が定子を参内させたことについて、露骨な不快感を記しているが、道長の心配をよそに、3月に定子はふたたび懐妊した。

ADVERTISEMENT

もっとも、こうして定子と争っていた彰子は、現代でいえばまだ小学校高学年という年齢であった。この争いも彼女の意志とは無関係で、彼女は大人たちの事情によって、翻弄されているにすぎなかった。その意味では、「光る君へ」のタイトルのとおり、「いけにえ」そのものだった。

しかし、定子との争い自体は、さほど長くは続かなかった。懐妊した定子は、この年の12月15日、第二皇女の媄子を出産したものの、後産が下りず、翌日早朝に亡くなってしまったからである。

香原 斗志(かはら・とし)
歴史評論家、音楽評論家
神奈川県出身。早稲田大学教育学部社会科地理歴史専修卒業。日本中世史、近世史が中心だが守備範囲は広い。著書に 『カラー版 東京で見つける江戸』(平凡社新書)。ヨーロッパの音楽、美術、建築にも精通し、オペラをはじめとするクラシック音楽の評論活動も行っている。関連する著書に『イタリア・オペラを疑え!』、『魅惑のオペラ歌手50 歌声のカタログ』(ともにアルテスパブリッシング)など。
『光る君へ』道長像はリアルとはいえない…道長がまだ幼い長女を一条天皇に入内させた本当の理由

X(旧Twitter)をフォローして最新記事をいち早く読もう

文春オンラインをフォロー