戒厳令が解かれて開放された思い
ワン・チャイシアン(以下、ワン) 私は十数年CMを撮っていて、そろそろ映画を撮りたいと思っていました。CMは商業的なものですから、そういう制約のない映画を撮りたかった。そんな時にこの映画の主人公を演じた男性ダンサーと知り合いました。このダンサーで映画を撮りたいとまず思って、彼らの生活スタイルを見てみると、だいたい昼間は寝て、夜に活動するという人が多かった。そういう若者の生態からコンセプトを考えられないか、というのが出発点でした。だから当初のタイトルは『蛾』というものでした。蛾は昼間寝て夜活動しますよね。
当時の台湾は、87年に戒厳令が解かれ開放が進んで、それまで心に閉じ込めていたものを言えるようになっていたわけです。私も、自分の思っていることを開放しようという思いでこの映画を作りました。
荒木 その思いを具体的に映画にする、実現する技術がすごいですね。特に撮影にびっくりしました。大量の爆竹が破裂するシーンや、夜の高速を猛スピードのバイクで疾走するシーンなど、よく死人が出なかったなと思いました。
ワン 私はもともとカメラマンの出身で、多くのシーンについて私自身が撮影しました。確かに見直すと非常に危険なシーンがあって、今だったらこういう撮り方はできないなと思っています。
リム この映画、観終わった後にもいろいろ謎が残っていますね。たとえば主人公がニューヨークから手紙をもらって、映画の中で読み上げられますが、その手紙が誰からのものなのかわからない。いったい誰なんでしょう。
荒木 そういうのは想像するのが楽しいんじゃない。
リム そうなんですけど、やっぱりちょっと知りたいと思って(笑)。
ワン 主人公はそもそも名前もないんです。それが暗示しているのは、誰しもがこの主人公に当てはまるということ。映画にはいろいろな比喩を盛り込んでいるのですが、今言われたニューヨークの友人というのは、当時の台湾の人たちが抱いていた、外の世界に対する想像、理想、そういったものを比喩しています。