家族3人でゲラゲラ笑った思い出
――橋口さんはエッセイで「僕は、家族の温もりとは縁のない人間である」と書いています。それでも家族の温もりを感じる場面はあったはずですよね。
橋口 たとえば昔のテレビはブラウン管で、しょっちゅう発火していたんです。それで朝起きると、母親が「昨晩ね、テレビが燃えたとよ」「だから慌てて、亮ちゃんに毛布ばかけたと」って。
箪笥の引き出しから大きな柄パンが出てきて、おなかを抱えて大笑いしたこともあります。実はそれはテレビにかけておくカバーだったんです。でもそれをパンツだと思って、ずっと笑い転げていたら、「なに笑いよっとね、亮輔は」って家族3人でゲラゲラ笑って。
『タワーリング・インフェルノ』が公開されたときは、父親が保険の外交員をしていて、お得意さんからチケットをもらってきました。それで「これ大ヒットしよると」って、観にいこうと誘われたのに、僕は親戚のおじちゃんちに行きたいと言って断ってしまった。そのとき父親がムスッとしてね。父親なりに家族団らんみたいなことをしたかったのかもしれません。寂しかっただろうなと、いまになって思います。
自分の家族の話を作りたい
――『お母さんが一緒』は同名の舞台を原作にした、笑いあり涙ありのホームドラマです。もし自分のなかを深く見つめて、ご自身の家族を題材にした映画を作るとしたら、また違うタイプの作品ができるかもしれませんね。
橋口 今度作りたいと思っているのはまさに自分の家族の話で、もう脚本を書きはじめています。小学2、3年生だったころ、親戚が大勢集まっているところで、僕が突然「おいがあの人のお嫁さんになれるとやったら、いますぐ女になってもよか」と宣言したことがあるんです。そうしたら親戚一同がドン引きして(笑)。その場面が映画のオープニングになる予定ですね。
撮影 石川啓次/文藝春秋