タイトルを伝えただけで東宝での製作・配給が決まった
――1995年の長編第2作『渚のシンドバッド』はロッテルダム映画祭でグランプリを受賞するなど、国際的な高い評価を獲得します。映画界の反応はどう変化しましたか?
橋口 あるとき、いまは東宝の会長をされている島谷能成さんに聞かれたんです。「次はどんな映画を考えとるんや?」「また同性愛の映画です」「タイトルは?」「『渚のシンドバッド』です」。そうしたら「よっしゃ、やろう」と。おそらくタイトルがポップだったからでしょうね。そのやりとりだけで東宝での製作・配給が決まりました。
『二十才の微熱』からわずか2年で、同性愛という障壁は業界的にいっさいなくなりました。ただ考えてみれば、同性愛ということで表現の規制を受けた覚えはまったくありません。「ホモを売りものにしている」と陰口を叩かれたことはあっても、表現についてクレームを受けたことはありませんでした。
いまの社会のほうが息苦しいですよね。あまりにも政治的な問題にされすぎてしまって。僕は同性愛者にも他の人たちと同じような人生があるということを描きたかったし、それを作品として認めてもらいたかった。
『渚のシンドバッド』に続く『ハッシュ!』(2001)も世界公開されて、たくさん賞をいただき、同性愛を扱う映画をそこまで引っ張りあげたという自負があります。これでもう同性愛の映画はやりきった。それで次作『ぐるりのこと。』(2008)以降は、新しいステップに進んだんです。
孤独な3人のドラマを通して、家族の可能性を考えていきたかった
――新作『お母さんが一緒』は家族をテーマにしていますが、思えば『二十才の微熱』にも家族への言及がありました。ゲイのカップルと独身女性が子どもをもうけようとする『ハッシュ!』も、新たな家族像についての作品です。
橋口 『ハッシュ!』を撮る前に、30代になった自分の今後を考えたんです。自分にとって家族の単位は「1」で、それが「2」になったり「3」になったりすることはない。そうやって覚悟していたけど、2や3になる可能性を否定する必要はないんじゃないかと思ったんですね。
『ハッシュ!』を撮るときにまず興味があったのは、孤独な3人が関わっていく、そのプロセスです。でもそのドラマを通して、家族の可能性を考えていきたかった。劇中には「家族っていうのは気がついたらそばにいるものよ」と、「家族って選びとっていくものなんだ」という、二通りのセリフが出てきます。その両方の考えが当時はあったような気がします。『二十才の微熱』のころは、家族は欺瞞の象徴だと思っていました。