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 中川さんが家出から戻ったとき、母親は、「次男からは『あいつが全部悪い、お母さんは何も悪くない』と言われたし、ママ友からも『「辛気臭い顔やめてくれない?」くらい、親だったら言っちゃうよ』と言われた」などと口にした。

「それを言った人たちを恨んではいません。ショックを受けている母を、ケアをしようとしてその言葉を伝えたのでしょうから。しかし、言われた言葉を僕に伝えることはどう考えてもおかしいと思います。『家出されて何キロも体重が落ちた』と被害者面したことについても許しがたく、『家出の話になると喧嘩になるから話すのをやめよう』と言われたこともあります。そもそも母は、自分がどんなことをしたのか今もわかっていないし、僕がどのような意味で傷ついたのかということも理解できていないと思います」

 中川さんによれば、中川さんの父親(母親にとっての夫)は、子どもがちょっとお酒をこぼしただけで怒鳴り散らす人でもあり、母親に対してつらく当たる場面を何度も見てきた。まさに「トラウマの連鎖」が起こっている。

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「母は加害者であり、被害者でもあると思っています。未診断ですが、母自身もADHDで辛い思いをしたと思うし、カサンドラ症候群と言われるような状態でもあったと思います。1970年代に20代で女性で、社会的にも経済的にも大学進学は難しく、労働も思うようにできなかった時代。トラウマとか発達障害とか、依存症とは何かなんてことを学べるわけがないとは思います。でも、だからといって、それは別の問題です。この先、両親に介護が必要になっても、危篤になっても、明確な変容がない限り、僕は絶対に会わないと思います」

 中川さんが家出から戻ったのは、まだ母親を信じていたからだろう。しかし母親は変わろうとはしてくれなかった。

「あのとき完全に関係を絶っておけば良かった。変に関係を戻してしまったから、もう一度深く傷つく経験をしてしまった。このことをずっと後悔しています」

 拙著『毒母は連鎖する』でも書いたが、毒親の構成要素のひとつとして、「子どもに謝ることができない親」であることが挙げられる。子どもに謝ることができないのは、子どもを自分の所有物とみなし、下に見ているからだ。中川さんの母親も、息子を所有物扱いしている。

 最後に、自分の子どもを持つことについて聞いた。

「自分が加害者だったと認識したとき、『僕は絶対に子どもを持っちゃいけない。こんなひどい連鎖は終わらせよう』と思ったのですが、『自分がちゃんと学び変わり、社会に対しては「G.A.D.H.A」で連鎖を止めるような働きかけをしていき、生きやすい社会になるなら、子どもを持っても良いのではないか』と思うようにはなったんです。逆に妻は、元々子どもは当然持つものだと思っていたのですが、いろいろなことを学んでいくうちに、自分がキャパオーバーになって毒親になってしまうのが怖いということで、『子どもは持たない』という意思決定をしています。僕は子どもが絶対に欲しいわけではないので、妻の意思を尊重しました」

 妻は、中川さんとの生活を、「一緒にいることが昔よりずっと楽で、くつろげる時間になった」と言ってくれている。

『99%離婚 モラハラ夫は変わるのか』より

 夫婦でも親子でも、友だちでも仕事仲間でも、人間関係のあるところ、独りよがりではなく、「ともに幸せになるにはどうしたらいいか」という思いがあれば、トラウマの連鎖は止められるのではないだろうか。そして万が一、独りよがりになってしまった場合は、今一度「ともに幸せになるにはどうしたらいいか」に立ち返り、立場の上下に関わらず、物事をフラットに見て非がある方が真摯に謝ること。それが「トラウマの連鎖」を止める鍵なのではないかと思う。

INFORMATION

中川瑛さんが代表を務める、DV・モラハラ加害者を支援する自助団体「G.A.D.H.A」のHPはコチラ

https://www.gadha.jp/