「遊女稼業をしていたこともあり、この土地に流れてくることは、単なる偶然ではなかった。土地の空気が彼女の生き様に合っていたのだろう」
愛人を殺害し、切断した男性器を持って逃げたことで有名な阿部定さんはなぜ東京の歓楽街「吉原」に流れ着いたのか…。東京の色街を実際に歩き、その歴史や当時のなごりを描いたノンフィクション作家の八木澤高明氏のベストセラー『江戸・東京色街入門』(実業之日本社)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む)
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事実は小説より奇なり
日本に色街は数多あれど、400年の時を越えて存在する色街は、ここ吉原ぐらいではないか。それこそ、万葉の時代から日本のそこかしこに色街ができては、泡のごとく消えていき、何の痕跡も残していない場所がほとんどだが、吉原は幾度かの大火によって、建築物は失われているが、その区画は江戸時代初期の元吉原から現在の吉原に移って以降、ほとんど変わっていない。
今ではソープランド街として知られていることもあり、男性ひとりが、歴史散策ですなどと言って歩いても、たいがい何を言ってやがんだと、言われてしまう。ただ、色街の歴史を辿るうえでも大変貴重な場所なので、ぜひとも家人などの疑いの目を気にせず歩いてもらいたい。
吉原に向かうには、日比谷線三ノ輪駅で降りるのが良い。吉原へと向かう道筋から少し外れるが、駅から歩いて五分ほどで竜泉の街に着く。
〈廻れば大門の見返り柳いと長けれど、お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く〉
情緒的な吉原の描写ではじまる、将来吉原の遊女になることを宿命づけられた美登利という少女が主人公の、樋口一葉の『たけくらべ』の舞台となったのが竜泉だ。そして、事実は小説より奇なり、恋人のイチモツを切った阿部定が、戦後おにぎり屋をやっていたこともあった。
ちなみに阿部定の店は樋口一葉の銅像がある千束稲荷神社の向かい側にあった。その場所を訪ねてみると、店はシャッターが下りたままになっていたが、今も当時の建物が残っていた。
「あの阿部定がここに確かにいたけど、店にも行ったことはなかったし、たいしたことは何も覚えていないんだよ。ただの婆さんだっていう記憶ぐらいかな」
近所の人に阿部定の記憶を尋ねると、何とも素っ気ない答えが返ってきた。そしてここ竜泉には、遊廓文化華やかりし頃、吉原遊廓で働く娼婦たちが、多く暮していたのだ。今では住宅街となっている竜泉だが、吉原という世間の中での離れ小島のような土地と密接に繋がっていた。阿部定は、飛田(大阪・西成)や丹波篠山(兵庫)、名古屋などで遊女稼業をしていたこともあり、この土地に流れてくることは、単なる偶然ではなかった。土地の空気が彼女の生き様に合っていたのだろう。
竜泉を後にして、十分ほど歩くと、吉原のソープランドの看板が目に入ってくる。微かに吉原の土地が高くなっていることに気がつく。かつて吉原は、おはぐろ溝という堀で囲まれていて、遊女たちが逃げ出せないようになっていた時代の名残である。