「おまえ、偽名を使っているな」「そうよ、私はお尋ね者よ」

「怪奇殺人事件の妖婦 阿部定遂に逮捕さる」(東日)、「稀代の妖女阿部さだ 品川驛(駅)前旅館で捕まる」(報知)。2紙は20日、号外(東日は2本)を出した。東日2本目の記事の主要部分は「市内に出没すること3日、捜査当局もようやく焦慮の色を示してきた20日午後5時半ごろ、犯人定が芝区高輪町76、旅館品川館に潜伏中を高輪署安藤部長刑事が検索のうえ発見。所持品たる石田吉蔵君の猿股(さるまた)、メリヤスシャツ、缶切り包丁及び切断した局所によって明らかに犯人定と判明。本署に同行、捜査本部に急報した」。

逮捕された「品川旅館」の部屋(「一億人の昭和史②」より)

 逮捕の際の模様について読売はこう書いた。「単衣を着たまま寝床に長々と寝そべっていたが、女中が『警察の方が見えました』と言うと、『あ、そう』とさりげないふうで起き上がり、安藤刑事が『おまえ、偽名を使っているな』と言うと『エー、そうよ、私はお尋ね者だわ』。さらに『あれを持っているな』『エー、持っていてよ』と、帯の間のハトロン紙包みをのぞかせたのち、洗面所で最後の化粧をして、ニヤリとスゴイ微笑を投げかけながら、連行されたのである」。

「死んで私のものになりました。すぐ私も行きます。あなたの私より」

 5月21日付朝刊各紙によると、定は「大阪の生駒山から飛び降り自殺しようと思って品川まで来た」と自供。遺書を3通用意していた。うち1通は殺害した吉蔵宛て。「私の一番好きなあなた。死んで私のものになりました。すぐ私も行きます。あなたの私より」。

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 犯行の模様、動機についてもすぐ供述し始めた。「“添われる仲でなし” 寝顔みつゝ(つ)殺害 “愛するが故(ゆえ)に”と自白」が見出しの東朝の記事にはこうある。

石田との将来を考えると、石田には立派に妻があり、いかに愛しても、このままでは1カ月中、半月ぐらいしか会うことができない。これでは、命を懸けてまで慕っているのに耐えられない苦痛である。むしろ、殺して自分も死ぬことが一番よいと考え、殺害を決意したのです。最も石田を愛していたのは私であるのに、葬式に立ち会えないのは誠に残念です。それで私は愛する男の体の一部を切り取ったのです。

 各紙は「變態性の所業」「凶行まで廿(二十)六日間・情痴の鬼」など、相変わらずおどろおどろしい表現が多かったが、その中でも「彼女にも此の眞(真)情 遺書に仄(ほのめ)く人間味」(国民)、「頽廃(たいはい)の底に純愛」(都)などの記事も現れ始めた。

逮捕を報じる東京日日号外

 読売は「捕えてみれば、この妖女のグロ犯罪は、怨恨にあらず、物欲にあらず、実に男の愛を絶対的に独占しようとする年増女の恋情と異常の淫虐癖が、石田の被虐癖と相交錯して妖しく咲きただれた中年男女の愛欲図譜の終章(エピローグ)だったのである」と述べた。