警視庁に連行される定 浮かべたほほえみの真相
新聞全紙には尾久署から警視庁に連行される定の写真が載っているが、それぞれ微妙に違いがある。
「人々の視線を浴びながら、少しも臆する色さえなく、くつろいだ格好で微笑を浮かべながら」と書いた東朝の写真は確かにほほえんでいる。東日(本紙)、国民も同様。報知(本紙)は歯を見せているが、ほかは真顔で写っている。このほほえみがこの事件に一層のドラマ性を与えたといえるだろう。
この時の尾久署の模様を21日付報知コラム「きのふけふ(きのうきょう)」は「お祭りよりもにぎやかだった。新聞社の自動車、押し掛けた群衆で交通巡査が出る、メガホンががなる、王子電車は立ち往生する……ひどい騒ぎ」と書いている。
夜の11時ごろ、犯人が署から警視庁に護送される段になる。群衆はまるで死に物狂い。足を踏まれようが突き飛ばされようが、ワーッと取り巻いて自動車はいまにもつぶされそう。
『なんて女でしょう。笑ってるよ』―。これはご婦人。『いい女だね。あれなら…』。これは手ぬぐいを肩にかけたあんちゃん。当のさだはまるで人ごとのように車の中でニコニコしていた。
1998年刊行の堀ノ内雅一「阿部定正伝」には、元三業地の料理店店主から聞いた話が載っている。それによれば、写真で阿部定の左横に立っているのは、店とも関わりの深かった尾久署の刑事。カメラのフラッシュが集中したため、彼が「ちょっとはサービスしてやれよ」というつもりで、阿部定の左手を握ったところ、ああした表情を見せたのだという。
「まさに怪奇な情痴の極致」
阿部定は取り調べには素直に応じたが、その言動は当時の常識からは懸け離れていた。「石田を殺したので、石田はもう絶対にほかの女とまみえることができなくなり、完全に私だけのものになったから、いまの私の気持ちは実にサバサバした」と供述。報じた22日付読売夕刊は「まさに怪奇な情痴の極致であろう」とした。
同じ日付の報知は「さだは問題のハトロン(紙)包みをどうしても諦めきれなかった。一度は係官に『では、お預けしますわ』と渡したものの、忘れることはできず、20日深更、独房に入れられる時『さっきお預けしたものを返してください』と執拗に迫った。係官がそれをなだめすかすのに小一時間かかった。『よしよし、あのままでは腐るからアルコール漬けにしてやるから、明日まで待つんだ』。ついにさだも寂しく納得した」と報道。
国民も「石田吉蔵のシャツ、ズボン下、猿股を自分で着込んで石田の移り香をしのび、独房の片隅で懊悩を続けていた」と伝えた。