昭和戦前の事件を眺めていて、他に抜きん出て後世の人々に強烈な印象を残し、伝説化している事件が2つある。鬼熊事件(大正から昭和に代わる直前だが)と、この阿部定事件だ。

 鬼熊は、その後も兇悪事件が起きると「○○の鬼熊」と言われることが続いた。「津山の三十人殺し」の都井睦雄も、ある新聞は「岡山の鬼熊」の見出しを付けた。阿部定も同様。似たような事件が起きると、必ず「第2、第3の阿部定」が出現した。

 2つの事件の何が人に強烈な記憶として刻み込ませるのか。男と女のドロドロした関係? 犯行の残虐さ? センセーショナルな報道? それらを総合した猟奇性? どれも当たっているが、それだけではない。

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 何か、時代と共鳴して事件の当事者やメディアも想像しなかったような衝撃を長く社会に及ぼしたということだろう。いまも異様な光を放って人々を引き付ける、その正体は何なのか(今回も差別語、不快用語が登場する)。

残された血文字「定吉二人キリ」

「舊(旧)主人の惨死體(体)に 血文字を切刻んで 美人女中姿を消す 尾久紅燈(灯)街に怪奇殺人」=東京朝日(東朝)、「待合のグロ殺人 夜會(会)巻の年増美人 情痴の主人殺し」=東京日日(東日、現毎日)、「妖艶・夜會髷(まげ)の年増美人 血文字 『定吉二人キリ』」(読売)、「七日間流連(いつづけ)の揚句」(報知)、「男性を奪ひ(い)去る」=国民新聞(現東京新聞)、「爛(ただ)れた中年の情痴」=都新聞(同)、「謎を残して行方不明」(時事新報)……。

事件は「開幕」からセンセーショナルに報じられた(東京朝日)

 1936年5月19日付の朝刊各紙はそろって社会面トップで派手に報じた。見出しで最も目立った用語は「グロ」「殺人」「美人」。後世に残る猟奇殺人の始まりだった。比較的分かりやすい東朝の記事を見よう。