「女が好きな男のものを好くのは当たり前のことだと思います」

 予審調書のポイントは第6回尋問での定の答えだろう。

「石田と別れるのが寂しいので、石田のシャツを着たり(中略)異常なことをしてしまいましたので、そんなことで世間から変態のように言われたのが悔しゅうございます」「私が変態性欲者であるかどうかは、私の今までのことを調べてもらえばよく分かると思います。今までどんな男にも石田と同じようなことをしたわけではありません」「私のことは世間にあからさまになったため、面白半分に騒がれるようですが、女が好きな男のものを好くのは当たり前のことだと思います」「今度の私がやったようなことをしようと思う女は世間にいるに違いないのですが、ただしないだけのことだと思います」

 これを変態とみるか、愛の極致と捉えるかで事件と阿部定の意味は180度変わってくる。

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「全国民待望の大公判」に徹夜組も

 1936年11月25日、初公判。当日付東朝朝刊には「霜に結ぶ幻の夢 “お定病”患者群」の見出しの記事が。「傍聴券を狙って十数人もの篤志家がこの寒空に徹夜の陣を張った。しかもお定ならぬ紅一点をさえ交えて……。『近頃では共産党大公判、血盟団、五・一五事件以来のこと。帝人(事件)公判もかないませんね……』と守衛さんも微苦笑」。

 森長栄三郎「史談裁判」によれば、開廷にあたって、裁判所書記は傍聴人に「意外な質問、応答または状態が発生するかもしれないが、決して笑ったり拍手したりしてはいけない」と訓示。司法メディアはそれを「傍聴人興奮禁止令」と詠んだという。

 そして26日付(25日発行)夕刊は各紙大々的に報じた。

初公判の報道もすさまじい

これこそ全国民待望の大公判(?)だ。“お定の顔が見られる!”“お定の声が聞かれる!”。ただそれだけですっかり興奮をさらって、猟奇の極致を行った阿部定の妖しい魅惑が奇を好む群集心理に直射して未曽有の人気を呼んだが、それにしてもすさまじい。25日午前9時半開廷の予定というのに、その前夜7時ごろから詰め掛けた傍聴志願者は妙齢の婦人も交えて、霜降る夜を裁判所門前に頑張り、午前5時には早くも一般傍聴人150名の定員を突破してしまい、この勢いに驚いた裁判所では早速の機転で午前5時30分、一般傍聴人を締め切って入場させてしまった。殺到する群衆をシャットアウトする鮮やかな遮断戦術で、いまだかつてないことだ。(読売)