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「著しき性的過敏症(淫乱症)を有する」

 同年12月8日の第2回公判で検察側は「石田は殺されるとは夢にも思っていなかった」と断定。定の性格を「強烈なる独占欲があり、これを満足せねばやまぬという衝動の持ち主である」「改悛の情さらに認められるべきものなく」として懲役10年を求刑した。

 公判に提出された村松常雄・東京帝大(現東大)医学部講師による定の精神鑑定(内村祐之・吉益脩夫「日本の精神鑑定」所収)は「生来性変質性性格異常が幼児よりの環境によりて甚だしく助長せられたるものにして精神的及び身体的にヒステリー性特徴を呈し、かつ著しき性的過敏症(淫乱症)を有するものなり」とし、心神喪失や心神耗弱(こうじゃく)を否定していた。

 東朝によれば、竹内金太郎弁護士が「自殺ほう助か過失致死として律するべきだ」と主張。「今はすっかり悔悟。本人は吉蔵さんの菩提を弔いたかろう。尼さんにでもなりたかろう」と述べ、被告席の定はさめざめと泣いたという。

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下された判決は…

 判決は同年12月21日。またも“お定マニア”の傍聴希望者が前夜から雪の中、徹夜していた。東朝は22日付(21日発行)でその天気にひっかけて「霙(みぞれ)降る日・温い判決」の見出し。

判決は温かい「懲役6年」だった(東京朝日)

(阿部定は午前)10時55分、数名の看守に守られながらポンポンするフラッシュの中をくぐり、地下道から出廷する。左手に包帯をし、右手にハンカチを持って被告席に立つ。かくて同57分、細谷裁判長は陪席判事、酒井検事らと入廷。直ちに開廷を宣言し、荘重な口調で「被告に対する殺人、死体損壊罪について判決を言い渡す」とて、「主文」を後にし、約30分にわたり長々と判決理由を朗読した後、お定に対し懲役6年(未決通算120日)の判決を言い渡し、将来を懇々と戒めた。

お定は検事の求刑10年に比してあまりに軽かったので、静かに裁判長を見上げたが、裁判長は「よいか、よく分かったか」と諭し、7日間に控訴できることを伝えると、お定は目に涙をたたえ、声を震わして「上訴権を放棄します」と即答。裁判長はなおも「それでよいか、後悔することないか」と念を押すと、お定ははっきり「ございません」と言い切る。裁判長は書記にその旨を命じ、さらにお定に向かって「体を丈夫にして……。裁判所の言うことをよく身につけて真面目にやらなければならんぞ。それから、刑務所を出る時は、営業的痴漢という馬鹿者がいて被告を利用せんとするから、そんな馬鹿者には引っかからぬように気をつけなくてはならぬ」。出所後のことまでこまごまと注意すると、お定は「それはよく分かっております」。「それでは体によく気をつけて……。帰ってよろしい」。お定は何度もいんぎんにお辞儀をして、また多数の看守に守られて11時30分退廷した。

 判決が犯行当時の定の心神耗弱を認めたのが減刑の主な理由だった。