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連載昭和事件史

2021/01/03

「ただれた情痴生活」の行方

 大宮校長は、定が名古屋の小料理屋で働いていたときに知り合い、パトロンのような存在だった。名古屋の地元紙・新愛知(現中日新聞)は初報の19日付朝刊で「中商校長も登場 帝都に猟奇の怪事件!」の横見出しをとっている。女が男を殺したのだから、背景を探るのは当然だが、当初は大宮が事件に関連しているとみた新聞もあった。

「中京商業校長も登場!」と報じる新愛知

 読売は「中京商業の校長と 凶行後、日本橋で密會(会)」の見出しで、定が事件後、「日本橋某所でかねてなじみの中京商業学校校長・大宮五郎氏と会って姿をくらましたことが分かった」と記述。

 報知は「冷たい秋風吹き 大宮校長へ鞍替(くらがえ)の肚(はら)」の見出しで「牛を馬に乗り換えようと、吉蔵氏を殺して大宮氏の懐に飛び込もうとしたものらしい」と書いている。

 これは後で誤報と分かる。実際は東朝が「爛(ただ)れた情痴生活」という別項記事に載せている「まさき」の伊藤もとの証言の方が事実だったようだ。「二人はやけるほど仲がよかった。時々女が胃けいれんを起こすと、男は夜っぴて介抱してやるというほどに睦まじかった」。

逃走中とは思えない優雅な行動

 逃走した定のその後の動きは刻々と捜査本部に入った。5月20日付読売夕刊の「怪美人を追ふ(う) 變(変)装、偽名して轉(転)々と 帝都内に潜伏の形跡」という見出しの記事を基にすると、それはこうだ。

18日朝、尾久三業自動車のハイヤーで待合「まさき」を出ると、新宿伊勢丹前交差点に至り、そこで車を乗り捨てると、それから円タクに乗り換え、午前9時半ごろ、かねて知り合いの下谷区上野町3ノ10、古着店「田中第三分店」こと小野真二方に現れ、「暖かくなりましたから、もうこれは着ていられないよ。何か格好のセルはありませんか」と、取り乱した様子もなく店内をしばらく見回していたが、望む品物がなかったので、銀色と白色の鱗(うろこ)模様のある薄ねずみ色の鶉お召(うずらおめし)の単衣(ひとえ)を5円で買い求め、着てきた角型浮織袷縮緬(あわせちりめん)の着物、薄ねずみ鶉縮緬の単衣(ひとえ)羽織を13円50銭で売り払い、奥の間で着替えして差し引き8円50銭を受け取った。

定の動きを図解にした新聞も(国民新聞)

大事そうに所持してきた新聞包みと脱ぎ捨てた長じゅばんをその風呂敷に包み、これを抱えて同10時すぎ立ち去った。さだはその足で神田区淡路町の萬代旅館に中京商業学校長・大宮五郎氏を訪れ、午前10時ごろ、大宮校長と連れ立って外出した。大宮校長の申し立てによると、二人は須田町交差点の萬惣果実店の前まで歩きながら、定は「いろいろお世話になりました」と、別れの言葉らしいことを述べながら、日本橋の某そば屋に立ち寄り、ここで30分ほど話し合って別れ、それより同校長は全国商業学校校長会議に出掛けたと言っているが、実は(2人は)午前11時ごろ、豊島区西巣鴨2丁目、みどり屋旅館に立ち寄り、約1時間密談したのち、正午すぎどこかへ立ち去ったことが分かった。