「死刑でもなんでもいいから早く処分してくださいな」
22日付東朝朝刊は、「『犯行を悔いる気持ちはないか』の尋問に対し、『ホホホホ』と嬌笑を交えながら『あの人も地下で私がこうしたことを喜んでいてくれるでしょうよ。とてもサッパリしたいい気持ちです。死刑でもなんでもいいから早く処分してくださいな。死刑になっても、おかしくって控訴などするもんですか』と歯切れのいい啖呵(たんか)を切っているという」と報じた。
こうした言動を「定(さだ)イズム」と名付けた新聞もあれば、オスカー・ワイルドの戯曲で悪女とされた王女になぞらえて「サロメ」と表現した新聞もあった。
「初めて自発的の愛情を感じさせたのではあるまいか」
事件や報道についての論評が現れ始めた。5月22日付萬朝報夕刊の「時局瞥見」というコラムは「グロを喜ぶ社会の不健全」と題して、事件について「わが社会の不健全さと猟奇的探究の合致がこれほどの大事件にでっち上げさせたこと、ジャーナリズムが善悪を問わず偶像的人物を捏造(ねつぞう)する悪癖を露出したことに帰すべきもの」と断じた。
これに対し、22日付報知朝刊家庭欄で、のちに「赤毛のアン」の翻訳で知られる村岡花子は定を「一片の肉塊に等しい生活を強いられてきた女」とし、「吉蔵との関係は、初めて自発的の愛情を感じさせたのではあるまいか」と同情的な感想を述べた。
週刊新聞「婦女新聞」31日付では、日本女子大教授などを務めた婦人運動家・高良とみ(ペンネーム富子)が「こうした事件の起こる根拠は社会の退廃した享楽制度にある」と指摘。「芸娼妓制度、一定の女を性欲の道具として扱い、ただれた性生活を強要する制度が女を損ない、男をも誤らせる」として廃止を求めた。
さらに「この事件に対する新聞の態度は全く醜悪です」とメディア批判に転じ、「言論の自由が抑圧されて、他の民衆の生活に重大な問題については何も書けないから、エロの方面にばかり堕落するようになるのでしょうが」と痛いところを突いた。