2021年7月、ミュージシャン・小山田圭吾氏は表舞台から姿を消した。過去に雑誌に掲載された自身の“いじめ告白”記事がSNS上で炎上し、東京オリンピック開会式音楽担当の辞任を余儀なくされたのだ。
炎上の発端となったX(旧ツイッター)の投稿がされたのは、就任が発表された翌日の早朝。その後、どんどん過熱するバッシングに小山田氏と周囲の人々は追い込まれていく。
ここでは、ノンフィクション作家の中原一歩氏が小山田氏本人や関係者に取材してまとめた『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介。炎上の影響は小山田氏の家族にも及び、ついに「殺害予告」にまで発展する――。(全4回の4回目/最初から読む)
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ホテルでの逃亡生活
炎上は本人以外にも影響を与え始めていた。リハーサルの最中、家族からあるメールが入る。
「週刊誌の記者らしい人が来て手紙を置いていった。今も家の前にいるみたい」
週刊誌だけではない。新聞やテレビなど複数のメディアが、直接、小山田に話を聞きたいと、事務所や自宅の周囲を張っていた。どうやって自宅の住所を知りえたのか。そんなことは知るよしもなかった。本来であればメディアの質問には真摯に答えるのが筋だということはわかっていたが、今、大勢のメディアを相手に、記者会見などをする気力は、小山田には残っていなかった。
「今日はホテルに泊まる」
家族にそう伝えて、この日は都内のビジネスホテルに身を寄せた。ただし、予約をするにも、本名は使えない。パートナーの名義でチェックインし、ホテルのフロントでも顔を隠した。コロナ禍でマスクをつけざるをえなかったことが、不幸中の幸いだった。冷静に考えると、小山田の顔を世間のどれだけの人々が知っていただろうか。しかし小山田や関係者には、周囲のなにげない視線がこれほど冷たく、恐ろしく感じられたことはなかった。食事はホテルの近くのファストフードでテイクアウトした。着替えや生活用品は、友人たちが自宅に取りにいってくれた。たしかに自宅の周囲には記者がいたという。
「まるで逃亡犯のようだね」
移動の途中で小山田が家族にそう呟いた。昨晩から小山田は、ほぼ一睡もできていなかった。薄暗い、ビジネスホテルのワンルームで朝を迎える。