深夜に玄関のチャイムを鳴らしたのは…
こんな出来事もあった。深夜に玄関のチャイムが鳴ったのだ。1回だけでなく、2回、3回、4回と続く。たまたま岡と高橋が事務所にいた時だった。まるで2人がいることを見透かしているように、チャイムは鳴り続ける。岡が言う。
「殺害予告のこともあったので、身の危険を感じたのですが、10分ぐらい経っても鳴り止まないので、これはおかしいと思って意を決して、『はい、何かご用でしょうか』とドア越しに応答したのです」
相手は巡回中の警察官だった。数時間おきに会社と小山田の自宅の周囲を、交代で警戒しているのだという。後日、ポストには「付近一帯をパトロールしました」という黄色い紙が入っているのを発見した。「殺す」などと書かれたハガキも山のように入っていた。ネットには有象無象の悪意ある罵声が書きこまれる。テレビではコメンテーターを名乗る芸能人が「小山田は犯罪者」と断罪していた。
17日はあるアーティストのプロデュース曲の制作をするため、小山田はホテルからスタジオに向かった。作業しながら、「きっとこの曲は世には出ないのだろう」と思いながらも曲は完成させた。家族から、週刊誌の記者がやってきて質問状を置いていったと連絡が入る。結局、帰宅することは叶わなかった。
「ホテルにいる時は、ずっとベッドで横になっていました。とても表に出る気持ちにはなれなかったのですが、スタジオに行って音楽を作っている時は気が紛れる。何もしないでいるより、ずっと落ち着きました。十八日の日曜日は仕事がオフだったので、あれこれ考えてしまっていました」
小山田は考えていた。事実でないことが含まれていようとも、過去に雑誌のインタビューでいじめについて語ってしまったのは、自分の責任だ。「一刻も早く、開会式の音楽担当を辞任しろ」という意見が出るのも仕方ない。
もし、自分が降りることで騒動が収まるならそうしたかった。しかし、簡単には辞められない事情があった。
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当時の現場では何が起きていたのか――? なぜ、「ロッキング・オン・ジャパン」「クイック・ジャパン」両誌に、このような記事が出たのか。そして、小山田がここまで追い詰められねばならなかった理由とは――。
発売中の『小山田圭吾 炎上の「嘘」 東京五輪騒動の知られざる真相』では、小山田本人への20時間を超える取材を含め、開会式関係者、小山田の同級生、掲載誌の編集長と取材を進めるうちに見えてきた、「炎上」の「嘘」を追う。