『ジョージ・ミラーとマッドマックス シリーズ誕生から伝説までのデス・ロード』(ルーク・バックマスター 著/有澤真庭 訳)竹書房

 今年5月に公開された『マッドマックス:フュリオサ』は、天地逆さまのオーストラリアの地図のクローズアップで始まり、やがて物語の発端となった「緑の地」のある場所が地理的に示される。それは諸般の事情によって主にナミビアで撮影された前作『マッドマックス 怒りのデス・ロード』にはなかった描写で、改めてこの世界中に熱狂的なファンがいるシリーズが、オーストラリアの映画人たちによるメイド・イン・オーストラリア作品であることを誇らしく告げるものだった。

 2017年に原書が刊行された本書がそのバックストーリーをカバーしているのは、1979年公開の『マッドマックス』から2015年公開の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』までの4作品。特に前半は監督ジョージ・ミラーと二人三脚、どころかむしろミラーをリードする存在として初期2作に多大な貢献をしてきたプロデューサーのバイロン・ケネディ(1983年にヘリコプター事故で死去)に焦点が当てられていて、ここで初めて明らかにされたエピソードの数々は、シリーズのファンにとってはもちろんのこと、当時のオーストラリア映画界を知る上でも貴重な資料的価値がある。

 車好きとしてハッとさせられたのは、作品を追うごとに車に対するフェティシズムが減退していった理由に思い当たったこと。初期『マッドマックス』の2作品に貫かれていた生粋のカーガイ精神は、ミラーのものというよりケネディのものであったのだ。また、驚かされたのは、主人公マックスの設定が企画の段階では警官ではなくジャーナリストであったこと。もしそのまま企画が進んでいたら、『マッドマックス』は1作目で終わっていたかもしれない。

ADVERTISEMENT

 オーストラリアの映画評論家である著者ルーク・バックマスターは同国人ならではの率直さで、映画作家としてのミラーの英雄的な側面だけでなく、『マッドマックス/サンダードーム』以降のハリウッドでの不遇時代や、演出家としての気難しさと短所についてもフェアに切り込んでいる。『マッドマックス:フュリオサ』を観た後、同作にトム・ハーディが友情出演をしなかった(唯一の登場シーンはスタントマンが演じた)ことが気になっていたが、本書を読んでそれにもようやく納得がいった。

 また、日本の映画ジャーナリストとして感慨深かったのは、80年代前半、つまり『マッドマックス2』と『マッドマックス/サンダードーム』の時代、いかに日本の映画マーケットが世界的に「当て」にされていたかということ。『マッドマックス:フュリオサ』の興行が世界的に大苦戦する中、日本の観客は根強い支持を示してみせたが、今となっては市場規模的にそれも「焼け石に水」となってしまった。

Luke Buckmaster/1997年から映画について執筆を開始。ガーディアン・オーストラリア紙の映画批評、Daily Reviewの批評家代表を務める。他にBBCカルチャー、シドニー・モーニング・ヘラルド紙、エイジ紙、フィルムインク誌、ABCテレビ、ABC iviewなどの様々な媒体に寄稿している。
 

うのこれまさ/1970年生まれ。映画・音楽ジャーナリスト。著書『2010s』『ハリウッド映画の終焉』など。最新刊『映画興行分析』。