ジェフ・ベゾスとイーロン・マスク。世界一の大富豪の座を争う2人が、宇宙開発の分野でもライバルとして鎬を削る。もしそんな小説を30年前に書いたら、設定が古すぎる、現実味がないと一蹴されただろう。
そもそも、空気も重力もなく、放射線に満ちた宇宙は、地球上のどこよりも苛酷な環境だ。なのに彼らは(われわれは)どうして宇宙を目指すのか?
科学や経済では説明のつかないこの問いの答えを探して、本書は150年の時を遡り、「人類は宇宙に進出すべきである」という主張の歴史を(批判的に)たどる。死者の復活と人間の不死を唱えたロシア宇宙主義から、NASA、そしてベゾスとマスクまで、年代順に7つのパラダイムが設定されている。
大きな特徴は、科学とフィクションの間に明快な境界線を引かず、現実の宇宙開発もSFも同じように扱うこと。結果的に、科学史とSF史が交わる部分に光が当たり、どちらの研究書にもあまり出てこない(いくつかは邦訳さえない)作品が詳細に語られる。米国人牧師ヘイルが1869年に出した史上初の有人宇宙ステーション小説「レンガの月」(未訳)や、ロケット科学者の草分けツィオルコフスキーが1896年に書き始めた宇宙探査SF長編『地球をとびだす』。あるいは、近代ロケットの父フォン・ブラウンが1948年にドイツ語で書いたこれまた未訳の『プロジェクト・マーズ』(火星の統治者が“イーロン”なる役職名で呼ばれているという偶然の一致には笑ってしまう)。
本文250ページ少々の分量なので、もとより網羅的な内容ではなく、トピックには大きな偏りがある。クラークに触れた章で(よりによって)テレビの超常現象番組『アーサー・C・クラークのミステリー・ワールド』をクローズアップしたり、ル=グウィンがブログに発表したエッセイ「『テクノロジー』にまつわる苦言」をくりかえし引用したり、いささか変化球に頼りすぎな面もあるが、全体的には(とりわけフォン・ブラウンの章やNASAの章)それこそ小説のような面白さに満ちている。
本書の主張は明快だ。スペースコロニー、惑星開発、フロンティアなどの言葉が示すとおり、宇宙開発の背後には植民地主義が見え隠れする。著者は、そうした資本主義的/拡張主義的/ドナルド・トランプ的な思想に疑問符をつきつけ、マルクス主義的/理想主義的な“別の物語”に共感する。
前者の代表がフォン・ブラウンやジェラード・オニールなら、後者の代表として紹介されるのはJ・D・バナールの論考『宇宙・肉体・悪魔』(1929年)。その影響のもとでSF作家のブルース・スターリングがかつて描いた、豊かで雑然とした宇宙に希望を見出して、本書は幕を閉じる。ある意味それは、この多様性の時代にふさわしい宇宙開発思想かもしれない。
Fred Scharmen/モーガン州立大学建築・計画学部准教授。専門は建築と都市デザイン。メリーランド州ボルティモアが拠点のアート・デザインのコンサルタント会社「ザ・ワーキング・グループ・オン・アダプティブ・システムズ」の共同設立者。
おおもりのぞみ/書評家、翻訳家。著書に『21世紀SF1000』、『新編 SF翻訳講座』、訳書に劉慈欣『三体』(共訳)など。