1ページ目から読む
2/4ページ目

――それが、オリンピックの8日前に炎上という形で現れた。

小山田 雑誌が出た1994年から、20年以上ずっとあのインタビュー記事のことは心に引っかかっていました。それでも3年前のあの日に炎上を聞かされた時は「このタイミングで来るのか」とショックを受けました。

 

――うろたえて何も手につかなくなりそうです。

ADVERTISEMENT

小山田 一応スタジオには向かったんですが、到着したらメンバーもすでに炎上のことは知っていました。みんなそわそわして落ち着かない雰囲気だったので、「自分のことでお騒がせしてすみません」と謝りました。僕自身もかなりテンパってはいましたが、とにかくリハーサルに集中するしかない、とあまり考えないようにしていました。

――そうこうしているうちにも、炎上は広がり続けていました。

小山田 リハーサルが夕方に終わったタイミングで、マネージャーに声をかけられて、「オリンピックの運営委員会から電話があった」と聞きました。炎上のことをとても心配していたこと、夜にまた打ち合わせをして今後の対応を協議することになったと話していました。

 

「まず家族に説明をしないといけないと僕は思っていました」

――その時点では小山田さんも辞任は考えていなかったんですね。

小山田 その前に、まず家族に説明をしないといけないと僕は思っていました。朝に息子とちゃんと話ができなかったことも心残りでしたし。とりあえず現物が必要だと思い、当時のインタビューが載った雑誌のコピーを友達からもらって、それを持ってパートナーと息子と話し合うために家へ帰りました。

――ご家族はどんな雰囲気で待っていたのでしょう。

小山田 息子は一日じゅう炎上の様子を調べていたようで憔悴していましたが、起きていることを詳しく教えてくれました。パートナーとはあのインタビュー記事について話をしたことがなく、彼女もかなり狼狽した様子でした。