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昭和30年代、テレビの現場のドタバタぶり
あるいは、NHKのニュース番組でインタビューを受けた際、局側が昭和30年代に草笛の出演した番組のスナップ写真を持って来てくれたことから、当時の思い出をつづった「『光子の窓』のころ」という一編も、草創期のテレビの現場のドタバタぶりが垣間見えて面白い。
『光子の窓』とは、日本テレビで草笛が司会を務め、1958年から1960年まで放送された日本初の本格的な音楽バラエティー番組である。番組の放送作家の一人には、草笛と同い年でやはり若手だった永六輔がおり、彼の書いた歌劇のパロディを、ゲストに招いた人気オペラ歌手の藤原義江と一緒に演じたこともあったという。
当時のテレビカメラはまだ大きくて重かったので自由に動けず、出演者のほうがコーナーごとにカメラからカメラへと移動しなければならなかった。VTRが貴重だった時代のこと、当然ながらすべて生放送で、衣装はコーナー転換の合間にカメラの映らない場所で急いで着替えると、床をのたくっている機材のケーブルの上を這いずり回って移動したという。
あんなふうに喋って踊って歌って、もう一度床の上を這いずり回りたい
草笛はそんなふうに当時を懐かしく振り返ったあとで、初心に返ろうという思いも込めてか、最後にこう付け加える。
《昔の自分の姿を見るのも、いい刺激になりますね。あのころの情熱を思い出して、ちょっと誇らしくなったりします。そして、『八十九歳の光子の窓』をやってみたくなりました。あんなふうに喋って踊って歌って、もう一度、床の上を這いずり回りたいのです。》
ご本人がここまで乗り気になっているのだから、テレビが原点に立ち返るという意味でもぜひ、『光子の窓』を復活させてほしいものである。