「要するに、彼(イーロン・マスク氏)に聞き入れてもらえるような能力が自分にはなかったということなのだと思います」。2014年からTwitterジャパンの代表取締役を務める笹本裕氏が同社を退職した理由には、世界的経営者イーロン・マスク氏との不協和があった。退職の真相を、笹本氏の新刊『イーロン・ショック 元Twitterジャパン社長が見た「破壊と創造」の215日』(文藝春秋)より一部抜粋してお届けする。(全2回の1回目/後編を読む

元Twitterジャパン社長が明かす「退職の真相」とは? ©文藝春秋

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私が退職を決めた理由

 私の興味関心は、とにかく日本とアジアの事業でした。

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 だから、少なくともアジア圏の事業について聞く耳を持ってもらえないのであれば、自分の存在は不要だなと思いました。

 これは批判ではなく、イーロンは「アメリカをなんとかしないといけない」ということに99パーセント頭が行ってしまっていました。だから、もう少しイーロンが日本やアジアの事業に気を配ってくれていれば、という気持ちはあります。

 エンジニアの配置についても疑問がありました。

 スーパーアプリを開発するならやはり、すでにLINEやWeChatといったスーパーアプリが存在するアジアで開発するべきだと私は思っていました。アメリカにスーパーアプリはありません。ないところでそれを開発しようとしても、それに共感できるエンジニアは少ない。

 だから新たなTwitterを創造していくなら、たとえば、東京にプロダクトデザインをする人たちを置いて、シンガポールにソフトウェアのデザインをする人を置く。そしてインドに開発体制を置く。私はこの3拠点制を提案していたのですが、少し時期尚早だったのかもしれません。

 イーロンは「まずアメリカを回さないといけない」ということで頭がいっぱいだった。それがちょっと残念でした。「破壊と創造を一緒に動かしていくなら、私の提言が受け入れられてもよかったのにな」と。

 私が辞めるに至ったのは、そういう戦略の違いがあったからです。私の力不足でもあるのですが。要するに、彼に聞き入れてもらえるような能力が自分にはなかったということなのだと思います。

爪痕は残せた、はず

 あえて自分を擁護するなら、努力はしたつもりです。少しは爪痕を残せたはずです。

 ひとつは先に触れた検索連動型の広告商品。もうひとつは私が辞めてからですが、イーロンは「日本にエンジニアを1人置くことにしたよ」と言ってくれました。ちなみに私は8人置いてくれと言っていました。だから8分の1は達成したということになるでしょうか。