水谷 みんな「なんか水谷が言ってるな。でもどうせ変わらないよ」という感じでした。
有働 協会も、もっと水谷さんをバックアップしてもよかったのではないですか。当時23歳のトップ選手が孤軍奮闘しているのに……。
水谷 協会は組織として日本卓球界全体のことを第一に考えるんです。だから余計なことを言わず静かにしてよ、という風潮があった。それに嫌気がさして、4カ月ぐらい練習もせず、もう卓球をやめようかと悩みました。
でも、当時支援してくれていたスポンサーの社長の方に「逆に今、活躍したら全部お前の手柄になるよ」と励まされて、再びやる気が出てきた。それで元中国代表の邱建新さんを自費でコーチに雇い、2013年から戦いの舞台をロシア・プレミアリーグに移しました。
有働 なぜロシアに行こうと思ったんですか?
水谷 単純に収入が一番良かったのが一つ。それと、ドイツや中国のリーグと違って日本人選手がいないんです。そのほうが伸びるだろうなと考えたんです。
後輩たちは甘っちょろい
有働 とはいえ、言葉や食事や環境など、大変ですよね。
水谷 めちゃくちゃ大変でした。最初に所属したクラブはエカテリンブルグという、モスクワから飛行機で3時間ほどかかる街でそもそも遠い。言葉は全部英語で、毎日移動中に本を読んで勉強していました。
有働 「何でこんな苦労せなあかんねん!」とは思いませんでした?
水谷 逆にエネルギーになりました。振り返れば、それまでの自分は、少し肩が痛かったら「休もうかな」と思ったり、どこか甘えがありましたが、厳しい環境の中で払拭(ふっしょく)されました。
有働 ロシアでの5年間で、何が一番プラスになりましたか?
水谷 辛くても耐えられるメンタルを手に入れられたことでしょうか。当時はモチベーションも上がって、ロシアリーグだけでなく、マレーシアリーグも掛け持ちして戦っていました。日本に帰国したときも成田に着いたら、すぐにナショナルトレーニングセンターに直行。やる気に満ち溢れていた。他の選手には同じことは出来ないと思うほど、やり切った自信はあります。
有働 競技生活を終えた今、それは何か役に立っていますか?
水谷 日本語が喋れて、日本食が食べられて、お風呂にも普通に入れる。そんな何でもない日常が幸せに感じられるようになりました。
有働 仙人みたいに悟ってる(笑)。そんな水谷さんから見て、いまの後輩たちはいかがですか?
水谷 本人は厳しい練習をしているつもりでも、世界的に見たら覚悟が足りない選手が多い気がします。
プレーの技術の拙さはもちろんなのですが、コートで対峙した時、たとえば中国の超一流選手はオーラがあるんです。「修羅場をくぐっているな」と感じる。他の競技でも、体操の内村航平さんは、圧倒的なオーラがありました。日本人選手はそれに比べ、オーラが無い。
有働 それは東京五輪で一緒に男子団体でメダルを獲得した張本智和選手や、ダブルスの世界ランキングで1位になったこともある戸上隼輔選手であってもそうですか。
水谷 甘っちょろいです(笑)。でも、世界選手権で毎年メダルを獲得している、女子の早田ひな選手はすごいオーラがあります。試合会場でふと会った時も、僕も怖くて話しかけられない。触れちゃ駄目だと。
有働 それは相当ですね!
水谷 例えば試合会場で、20〜30メートル先に早田選手がいたとしても「あ、大丈夫です。挨拶しないで、そのまま帰ります」みたいな(笑)。
有働 自分を追い込んできた水谷さんなら、むしろ話が合うんじゃないですか。
水谷 引退して時間が経ってますからね。早田選手から見たら、僕なんてアスリートの牙は無くなっていて、ふんわりしていると感じると思うんですよね。
本記事の全文は、「文藝春秋 電子版」に掲載されています(水谷隼×有働由美子「早田ひな選手のオーラはすごい。僕も怖くて……」)。
全文では、水谷隼氏が、パリオリンピックで活躍する卓球選手の分析から、自身の株式投資での失敗談まで語っている。
「早田ひな選手のオーラはすごい。僕も怖くて……」
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