27年間、僕の中には「わたし」がいた

 こうして、準備万端で翌日のクランクインを迎えた、はずだった。

「衣装も着替えて、ロケバスに乗るためにホテルのロビーに全員集合していたんです。そうしたらプロデューサーさんに監督が呼ばれて、『なんだろうね』なんて話をしていたんですよ」

 どれくらい過ぎたか、永瀬は何気なく窓の外を見た。そこには石井監督がどこかへ歩いてゆく姿があった。

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「監督は僕たちのほうへ降りてくるのではなく、裏からロビーのガラス越しの前の道を歩いて行かれた。肩を落とすわけでもなく、前を見てまっすぐ歩かれているんですけど、その後ろ姿が何とも言えない感覚があって。するとプロデューサーさんが僕らの前に来て『この映画は今日で中止にします』と言われたんですよ」

©撮影 杉山拓也/文藝春秋

 このときの石井監督の姿を、永瀬は「一生忘れられない」と話す。

「それからお目にかかるたびに、監督は『あきらめていない』とおっしゃっていた。なので、僕のなかには、あのときからずっと『箱男』がいたんです」

 だから、27年越しに「わたし」を演じることが決まっても、すんなりとクランクインできた。

「今回、箱を前に演出している石井監督を見て、グッとくるものがありましたね。僕も正直、ファーストカットを撮ったときには、今までにないような、なんともいえない感情になりました」

自分のなかの「わたし」像を、できるかぎりゼロにして

 真の箱男となるべく生きる「わたし」を誘惑してくる謎の女性・葉子(白本彩奈)、箱男を利用しようとする軍医(佐藤浩市)、さらには軍医と奇妙な依存関係にあるニセ医者(浅野忠信)たちの思惑がからみあうなかで、物語は混沌としはじめる。

「これは原作のすごさでもあるんですが、『箱男』は主観がずれていく物語なんです。話が進むうちに、どんどん誰の主観で語られているのかわからなくなっていく」

©撮影 杉山拓也/文藝春秋

 そして「わたし」同様に箱男という存在に魅せられたニセ医者は、箱男の行動をトレースし、自ら箱をかぶって「この街に箱男はふたりいらない!」と「わたし」と対決する。なんと、箱男たちがうめき、走り、闘うのだ。

「そもそも、僕も箱男があんな動きをするなんて考えていませんでした。街の景色の一部として箱のなかから見ている『わたし』が、どんな動き方をして行動を起こすのか。石が当たったときの振り向き方や、眼の動き、動作のスピード感といった動きについては、監督といろいろ話をしました。とくに浅野くんと争う場面は、シミュレーションしきれない部分がありました。現場にいってみないとわからない(笑)」