2000年の解散後、メンバーはそれぞれの道を進む。それから9年後の2009年、前年に本格的にSPEEDを再結成した4人は、『週刊文春』の阿川佐和子との対談で顔をそろえると、夏休みを終えて久々に登校した子供たちのように、それまでの充実した日々を楽しそうに報告し合った。

2009年当時のSPEED ©文藝春秋

「あ、ニューヨークに行ける!」

 メンバー最年長の新垣仁絵は、解散が決まるや「あ、ニューヨークに行ける!」と、かねてよりの願いをかなえるチャンスと捉えた。そして《六年ぐらいニューヨークと日本を行ったり来たりしながら、向こうで絵やダンスを学んだり、日本でCD出したり。再結成の前はアメリカでヨガのインストラクターのライセンスを取得して、日本で教えてました》という(『週刊文春』前掲号)。

グループの最年長だった新垣仁絵 ©文藝春秋

 島袋も、解散から6~7年経った頃、新垣にヨガを教わった。当時彼女は解散直前と同様、このときも色々とあって何をしていいかわからず落ち込んでおり、新垣のもとへ匿ってもらうように1年ほど通ううち、だんだん落ち着いていったという。ヨガだけでなく「好きなことやっていいんだよ」と教えてくれた新垣に、島袋は《あれがなかったら私今頃、沖縄に帰ってます(笑)》と感謝している(同上)。

ADVERTISEMENT

 じつは島袋は10代の頃、新垣が物事をストレートに言い過ぎるため何も言えず、ほとんど口を利いていなかったが、これを機に距離がグッと縮まったようだ。

メンバーを驚かせた上原の変化

 解散後のメンバーの変化でいえば、上原もまた、10代のとき以上にしゃべるようになり、ほかのメンバーを驚かせた。かつては、いつも心ここにあらずという感じだった上原だが、島袋が、再結成後はライブについて彼女の意見で気づかされることも多く、《今は自分があるなって思う》と語ったように(同上)、ほかの3人からすっかり見直されたらしい。

 上原は解散後、歌に自信がなくて俳優に専念するようになっていた。2005年には初めてミュージカルに出演し、《生でやる責任とか、一ヵ月間自分で自分のコンディションを管理することを経験したときに、一人で立つことに責任を持った》という(同上)。

2005年、舞台「リトルショップ・オブ・ホラーズ」で日本映画批評家大賞の「舞台ミュージカル大賞」を受賞した上原多香子 ©文藝春秋

今井はシングルマザーに

 こうしてメンバーたちが互いに変わり、再び集まったSPEEDについて今井は《第一次SPEEDは、4=SPEEDって感じだったけど、今は1+1+1+1=SPEEDという感じがする。自立してて、お互いの意見を尊重し合って、そこが大きく違うかも》と、その変化を表現している(同上)。

 今井自身もこの間は波瀾の連続だった。解散後、ソロになると自ら作詞・作曲も始める。2004年には、ロックバンド・175R(イナゴライダー)のボーカル・SHOGOと結婚、現在、プロレスラーとして活躍する長男・礼夢(らいむ)を儲けた。これを機に事務所を離れる。夫とは2007年に離婚し、以来、シングルマザーとして子供を育ててきた。