文春オンライン

東出昌大×柳家喬太郎「二ツ目ブームと名人について語ろう」 落語“大好き”対談【前編】

異色の落語対談、たっぷりと

note

志ん朝師匠が楽屋に入ると、空気がパッと変わる

東出 志ん朝師匠の落語は品があって、華があって、語り口も滑らかで、何回聴いても飽きがこない。「船をもやっとく」とか、江戸の言葉がまた耳に心地よくて。師匠はもちろん、間近で志ん朝師匠を見たこともあると思いますが、どんな存在感がありましたか?

喬太郎 楽屋口に師匠がみえたっていうだけで、楽屋の空気がパッと変わるんですよ。それはこちらが緊張するというのもあるんですけど、それ以上に周りをパッと明るくする華がある。先代の小さん師匠や、いまだったら小三治師匠にもそんな雰囲気ありますね。

 

東出 さん喬師匠は?

ADVERTISEMENT

喬太郎 うちの師匠ですか? うちの師匠は誰からもほっといてほしい人なんで、ほっといてあげてください(笑)。もちろん、うちの師匠も権太楼師匠も、存在感はおありになるわけですけど、志ん朝師匠には、またちょっと違う一種独特なオーラがありましたね。

東出 志ん朝師匠はまさに「名人」という言葉が似合う方だと思うんですけど、でも名人って一体なんなんだろうって思うんです。定義が難しいというか……。

「名人」とは何か?

喬太郎 確かに難しいんですよ。僕自身、「名人とは何か」みたいな考えは歳をとるにつれ、いろいろ変わってます。例えば「昭和の名人」といえば、圓生、文楽、志ん生だったりするんでしょうけど、何か決まった「名人の条件」というものがあるわけではないですからね。

東出 名人というと、ものすごい高みにあるような印象があって……。

 

喬太郎 そうなんです。めったに使っちゃいけない言葉のような気がする。こういうかたちで名前を出すのは失礼かもしれないけど、僕と同世代の三遊亭白鳥師匠は、いままでの価値観でいう「名人」で名前が挙がる人じゃない。動物園の動物たちの話『任侠流山動物園』とか、奇天烈な新作落語を演り続けている人ですからね。だけど単なるうわっつらのギャグだけでウケてるんじゃなくて、独特の作品世界を客席にポーンと放って、そこでお客さんを遊ばせることができる人。実はそれもある種の名人なんじゃないかという気がするんですよ。東出さんはどう思います? 名人とは。