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東出昌大×柳家喬太郎「二ツ目ブームと名人について語ろう」 落語“大好き”対談【前編】

異色の落語対談、たっぷりと

名人の定義は年齢や価値観によってどんどん変わる

東出 イチ落語ファンでしかないので、知ったようにしゃべるのは気がひけるんですけれども、志ん朝師匠の『文七元結』のマクラに、「文化芸能の世界に名人はいないと思う」というのがありますよね。あるいは、志ん朝師匠が親父さんの志ん生師匠に「名人って何? 親父は名人?」って聞いたら、「俺なんて名人じゃない。橘家圓喬は名人だった」と。

喬太郎 圓喬、近代落語の祖・三遊亭圓朝のお弟子さんですね。

東出 さらに「どういうものだったの?」と聞くと、「どういうものとかいうんじゃなく、とにかく名人だった」と説明されたという。

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喬太郎 名人ってのは、とにかく名人なんだよと(笑)。

 

東出 なので、さっき師匠がおっしゃっていたように、名人とは何かみたいな自分なりの定義って、年齢や価値観によってどんどん変わっていくんだろうなって思います。なんだろう、それこそ子どもの頃は安いそばでも、高級なおそばでも、同じそばなんだけど、大人になるとそれぞれの旨さがわかってくるというか。

喬太郎 ああ、たしかにそうですね。大人になって、人情噺の機微が好きになって、それまで追っかけていた笑いとは違う「名人」を発見するってこともあるでしょうね。

『黄金餅』とヒップホップのうまい感じ

東出 そうなんです。落語って時間とともに、響いてくるポイントが変わってきて面白いんですよね。間男が出てくる浮気話『紙入れ』に「人の女房と枯れ木の枝は、登りつめたら命がけ」って文句が出てきますよね。あれ、落語を聴き始めた頃はよくわかんなかったんですけど、だんだん大人になって「ああ、なるほど、うまい!」って思ったり。

喬太郎 ハハハ、子どもで「うまい」って思っちゃまずいかもね、たしかに。

東出 あと、『黄金餅』の変なお経の中に出てくる「君と別れて松原行けば松の露やら涙やら」。くだらないんだけど、調べの中に上手いこと言ってる感じを挟んでいて、ちょっとヒップホップにも近いですよね。なので、僕の聴き方って、古典芸能を鑑賞する、というものとは程遠い……。

 

喬太郎 いやいや、そうやって純粋に楽しんでくれるのが一番嬉しいですよ。落語を高尚な芸術品のようにありがたがられても困ります(笑)。中学校や高校に学校公演の仕事でお邪魔することがあるんですけどね、ずいぶん変わりましたよ。だって、みんな面白そうに聴いてくださるんです。単に古臭い古典芸術っていう構えをされることは、あまりなくなってきた気がします。