国家が求める“英霊”の姿を代弁
アナウンサーは用意された原稿を読むだけが仕事ではない。現場で熱心に取材している。中には私の初任地の上司のように、アナウンサーを務めてから記者に転じて社会部で活躍し、地方局のデスクとして若手記者を育成した後、元の職場に戻り東京でアナウンス室長を務めた人物もいる。スポーツ実況にしろ災害報道にしろ現場を知らずに話せるわけがない。和田はそれを「虫眼鏡で調べて、望遠鏡でしゃべる」と表現する。
それが具体的に描かれるのは、日中戦争の戦死者を靖国神社に祀る招魂祭でのこと。和田は実況を任される。『海行かば』の荘厳な演奏に続き、中継の第一声、「母さん、元気かい」で始まる言葉に聴衆は息を吞む。戦死した農家の息子が母親に語りかけるが如く、「俺がいないんで刈り取りも思うようにいかないだろう」と続けると、ラジオの前で息子の遺影を抱く母親が涙ぐむ。和田はこの日のため遺族のもとを訪ね歩き想いを聴き取っていた。彼が語る言葉そのままに。ところが、その後にこう続ける。
「だけど母さん、嘆いてはいけないよ。俺は護国の英霊となって永遠にお国のために生きているのだから」
国家が求める“英霊”のあるべき姿を代弁しているのだ。型破りな実況を行いながら、和田もまた国家のくびきから自由ではいられない。その和田を演じるのは元V6の森田剛。NHKの大河ドラマをはじめ数多くのドラマや映画で実績がある。
「何を伝えるべきか」から目をそらしていた
昭和16(1941)年12月8日、日米開戦の日。当直についていた和田は、大本営から発表された開戦の知らせを電話で受ける。「国家開闢以来のニュースだ。もっと勢いが欲しい」と、ニュースの背後で勇ましく『軍艦行進曲』を流す。その後も大本営発表はラジオを通して全国津々浦々に流された。しかし戦況が悪化するにつれ、都合の悪い事実を隠し戦果を誇大に伝えるようになる。その一翼を担う和田に、後輩アナウンサーで後に妻となる実枝子が告げる。
「私、和田さんの声を聴くのが好きでした。でも変わりましたね」
和田が「こんな時だからこその声の出し方があるはずなんだがなあ」と返すと、実枝子はピシャリと「あなたはアナウンスメントのことしか頭にないんですね」