「家族皆が亡くなってしまってね」
庭田 「いまは平和記念公園になっとるけど、もともとここは中島地区っていう場所で、自分の生まれ育った家は理髪館を営んどったんよ。原爆が投下されたとき、僕自身は疎開しとったから助かったけど、家族皆が亡くなってしまってね。でも、この公園に来たら、いつも家族がどこかから見てくれとるんじゃないかと思えてね。それで、いつもここに来とるんよね」という話をしてくださって。
さらに「8月6日のことは話せんけど、被爆前の中島地区のことだったら、どれだけでも話せるよ」と言ってもらって、それから継続的にお話を聞かせてもらう関係になったんです。
印象的だったのは、濵井さんのご家族が、映画『この世界の片隅に』の冒頭シーンに登場していること、そして、映画の中で生きている家族に会うために濵井さんが何十回も映画館に足を運んでいるということでした。
それで、濵井さんがお持ちの白黒写真をカラー化してアルバムにしてプレゼントしてあげたら、大好きだったご家族のことをいつでも身近に感じてもらえるんじゃないかな? と、カラー化作業を手がけたのが、「記憶の解凍」プロジェクトの始まりだったんです。
――プレゼントされたときの濵井さんのご反応はいかがでしたか。
庭田 「家族がまだ生きとるようだ」と本当に喜んでくださりましたね。桜の名所だった長寿園でお花見をしている写真に関しても、カラー化した写真を見ながら対話を重ねていくなかで、「そういえば、杉鉄砲でよく遊んだなあ……」と、それまで白黒写真を見返しているときには思い出されていなかった記憶が新たによみがえったのも印象的です。
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そんな経験を経て、庭田さんは東京大学へと進学。卒業後は地元広島のテレビ局で活躍している。彼女がUターン就職を決意した背景にあった“納得の理由”とは――。