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 現場の理解とスタッフさんの協力があれば、ダウン症の役者さんがもっと活動できることを示せたと思います。

 そうした対応も含め、坂部康二プロデューサーをはじめスタッフの方々は、丁寧に作品づくりを進めておられました。岸田家まで足を運んで、私と母から何時間も話を聞いてくださって、私がエッセイに書いていないことまで引き出してもらいドラマに反映されていきました」

ドラマを見て岸田さんが“気づかされたこと”

 自分と家族のことが、ドラマというフィクション作品となって展開されるのは、どんな感覚だっただろう。

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「うちは岸田家で、ドラマは岸本家と設定されています。それもあって同一化するというより、もうすこし客観的になって、よく知っている親戚の話を聞いたり、様子を覗き見たりしているような感じでした。

 

 ドラマでストーリーが与えられると、私が書いた『事実』とはすこし違った『こうであったかも』の世界が描かれることもあって、おもしろいです。

 たとえば、第2話のラスト。車椅子になった母『ひとみさん』と私『七実』がいっしょにお出かけをする。まだ慣れない車椅子では、お目当てのお店に入れず、プレゼントしたイヤリングを落としてしまい、心身ともズタボロ状態でようやくカフェに入って、パスタを食べながら七実は泣きじゃくります。

 これは実際にあったことで私がエッセイに書いた話をベースにしているものの、私はそのときカフェで泣いたりはしませんでした。パスタをパクパク食べながら、弱音を吐く母を前にして、泣きたい気持ちだったけどここで泣いたら気持ちごと持っていかれるからダメだ! と思ったんです。ふたりで落ち込んで取り返しのつかないことになりそうだったから、できるだけ平気なふりをして、ちょっとイライラした感じまで出しながら、いろいろ私に任せてと、ちょっとやけくそになりながら口にしました。

 私の記憶にあるそうした事実と、ドラマのシーンは違うものだった。でも七実ちゃんがあれだけ全力で泣いているのを見て、私はなんだかうれしかった。そうかあのとき私、本当は悔しくて、お母さんの前で『私もつらい!』と吐き出し、泣いてしまいたかったんだ。そう気づかされました」

撮影 青山裕企

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テレビドラマ「家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった」
https://www.nhk.jp/p/ts/RMVLGR9QNM/