小俣と通谷とも、限られた時間のなかで安楽のクライミングを実に熱く語ってくれた。その彼らの話を聞いていたら、もし安楽がパリ五輪で金メダルを獲得していたとしても、彼らがいる限り安楽は勝ち逃げなんて許してもらえなかっただろうと思いを改めさせられた。

 安楽が大会にいて、クライミングジムにいて、登ったり競ったり馬鹿話をしたりする。それが彼らにとっては当たり前のことで、きっとそれは安楽にとっても同じことだろう。

安楽について語ってくれた小俣史温(左)と、通谷律(右) ©時事通信社

「何でもいいから学校だけは行っとけ!」と言われたことも…

 安楽の高校生活最後の夏休みは、間もなく終わりを告げる。2学期が始まれば高校に入学してから居心地の悪さを覚えてきた「遠巻きの視線」が待っている。ただ、それらすべては安楽がスポーツクライミングで眩い結果を残してきたからこそのものだ。

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 中学3年時に必死の勉強で手繰り寄せた第一志望校での高校生活は、自身がスポーツクライミングで活躍すればするほど、思い描いたものからは遠ざかった。学校に行く気力がわかないときは、小俣から「何でもいいから学校だけは行っとけ!」と尻を叩かれたこともあったという。

 だが、そうした日々を乗り越え、パリ五輪での銀メダルを手にした安楽だからこそ、オリンピックに集中するために先送りにしてきた進路志望の答えは決まっていることだろう。進学かプロか、ほかの道か。どんな決断を下すにしても、振り子の支点はつねにクライミングにあるはずだ。

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ロス五輪に向けて動き出した“宙斗世代”

 パリ五輪での安楽の勇姿から刺激をたっぷりもらったという小俣と通谷は、すでに4年後のロサンゼルス五輪を見据えて動き出している。そして、パリ五輪に金メダルを置き忘れてきた安楽が4年後に向けて本格始動するのも時間の問題だろう。

 パリ五輪で新たな時代の扉を開けた“宙斗世代”は、ここからの4年間でますます隆盛を誇っていくはずだ。そして、その中心にはこれからも安楽宙斗がいる。