1955年(106分)/ハピネット/2750円(税込)

 今回は『人間魚雷回天』を取り上げる。前回の『戦艦大和』と同様、新東宝が大蔵貢社長による復古的な戦争映画を作るようになる以前の、反戦メッセージの強い作品だ。

 回天とは太平洋戦争中に軍が開発した魚雷だ。だが、それは尋常ならざる兵器だった。

 兵が一人で乗り込んで自ら操縦し、敵艦へと突っ込んでいくのだ。つまり、海の特攻隊といえる存在で、そのために「人間魚雷」と呼ばれた。

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 本作は、回天に乗り込んで特攻することになった若者たちの、最後の日々が描かれる。彼らはいずれも「お国のため」と勇んで乗り込むわけではない。それぞれに悩み、苦しみながらも、なんとか自身を納得させ、死へと向かう。

 まず素晴らしいのは、松林宗恵監督の演出だ。その悲劇性をことさらに劇的に盛り上げて「泣かせるドラマ」として観客をエモーショナルに沸き立たせようとは、決してしていないのである。

 松林演出は、あくまでも静謐の中で、一人一人の心情を繊細かつ丁寧に追っていく。フィクショナルに飾った演出を極力排除したことで、かえって個々の兵たちの抱える葛藤が生々しく浮び上がることになった。

 特に印象的な場面は物語終盤。回天で出撃することになった朝倉少尉(岡田英次)と年長の下士官・田辺(加藤嘉)とのやり取りだ。

 田辺は疑問を呈する。「人間の意思で、人間の生命が、こう簡単にあしらわれてもいいものでしょうか――」田辺の問いかけに朝倉はこう答える。「僕達が死んでいくのは、無謀な戦いを無謀なものと気づかせるためなんです。それが、もろくて弱い人間の生命のせめてもの抗議になれば、それでいいんです」

 こうした描写は、戦後世代が左派的な反戦思想をプロパガンダするために創作したものではない。松林監督は海軍の軍人として戦地に赴き、多くの戦友の無残な死を目の当たりにしてきた。そして、脚本家として一連のセリフを書いた須崎勝彌に至っては、自身が特攻隊の生き残りだ。飛び立つ戦友たちを見送り、戦争が長引いていたら、自らも特攻していたはずだった。

 つまり、本作における若き兵たちの想いの数々は、その経験をした者たちだからこそ描ける、当時の若者たち自身の生の感情が反映されたものだということができる。だからこそ、観るものの心を打つ。須崎はその後も戦争映画を多く担ってきたが、特攻を美談として描こうとはせず、生き残る尊さを訴え続けた。

 本作も大阪のシネ・ヌーヴォの新東宝特集で上映する。兵たちの切なる言葉を、ぜひとも受け止めていただきたい。