1969年(93分)/KADOKAWA/2750円(税込)

 お盆休み前に発売された本誌の合併号で、怪談を扱った映像作品を十五本、紹介した。

 ただ、全体のバランスを考えて泣く泣く選から外した作品もある。今回取り上げる『四谷怪談 お岩の亡霊』も、そんな一本だ。

「四谷怪談」は天知茂版と若山富三郎版を十五本の中に入れていたので、さすがに同じ題材で三本は多いと判断して外すことにした。が、これがなかなか侮れない作品なのだ。なにせ、伊右衛門を演じるのが佐藤慶。それだけで一筋縄ではいかない予感を覚える人も少なくないだろう。

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 一概に「四谷怪談」といっても、作品ごとにアプローチは異なっている。特に伊右衛門像の違いは如実だ。たとえば天知版はニヒルで繊細、若山版は野蛮で狂暴と全く異なる描かれ方をしている。

 では、佐藤版伊右衛門はというと――端的に表せば冷徹かつ傲慢。天知や若山と同じく、演じる役者の「らしさ」の出た伊右衛門だった。

 本作の伊右衛門は、自身の才覚への強い自負がある設定になっている。そのため、浪人生活の貧しさが不満でたまらない。性格は人としての情は全くないエゴイスト。身体が弱く思うように働けないお岩(稲野和子)を「足手まとい」と冷たく突き放し、舅(浜村純)に対しても「昔は昔、今は今」とかつての恩を屁とも思っていない。それどころか、邪魔になった舅を平然と斬り殺してさえいる。

 そんな、どこまでも冷たい伊右衛門に、瞳の奥底に暗く淀んだ魂を漂わせる佐藤慶はあまりにピッタリだった。

 野心家で策略家な伊右衛門が手段を選ばずに目的を果たそうとする様は、同情や共感の余地を観る側に全く与えない。だが、そこまで振り切れているからこそ、ピカレスク的なカッコ良さすら感じられる超然としたものがあった。

 もちろん、最終的にはお岩の亡霊に呪われることになる。多くの映像作品と同じく、伊右衛門は常軌を逸して、過って周囲の人間を手にかける。

 だが、本作はそれで終わらないのだ。しばらくして伊右衛門は冷静さを取り戻す。

 そして自身の行いを「悪」、お岩の亡霊を「女の業」と把握した上で、「悪と業の闘いなら、己一人の力で生き抜いてみせるわ」とクールに笑ってのけるのだ。つまり、お岩の呪いを精神的に超克したということになる。しかも、追いつめられて虫の息になった最期の瞬間でもなお、「まだ、死なんぞ」とほくそえむ。

 強烈なのは、その際の佐藤慶の表情から清々しさすら感じられたことだ。たしかに、この伊右衛門ならお岩の亡霊の呪いすらはね除けられそうだ――と納得できてしまった。